士の方も頼むよ」
 といった。
 顧問弁護士の方は兎も角、仲直りが出来て大へんよかったと思った。
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 次はそれから二三ヶ月経った頃の日記だった。

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 今日二川の事をよく知っている男から、二川の細君は妊娠して、その養生の為京都の里に行っているという事を聞いた。
 僕は鳥渡意外に思った。といって、細君が妊娠した事を意外に思ったのではない。結婚後十数年経って、初めて子供の出来た例は乏しくないのだから、少しも不思議はない所《どころ》か、大変|目出度《めでた》いと思うのだが、何故二川がその事を僕に隠したのか、鳥渡解せないのだ。先年あんな事で喧嘩別れになったので、いい悪《にく》かったのか、それともその時になって発表して驚かそうというのか、どっちかだろう。道理で中々元気があると思った。
 此間会った時に、その事をいって呉れゝば、恰度僕の所も家内が妊娠中で、僕の所は初産ではないけれども、上は亡くなしているから、まア初めて見たいなもので、共に祝い合う事が出来たのに、一体どっちが先に生れるのだろう。
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 年を繰って見ると、野村が生れた年は父は三十三歳だった。日記にも書いてある通り、上の子が夭折《ようせつ》したので、生れて来る子供に対して、父が大へん喜んでいる有様がよく分るので野村は思わず微笑んだ。
 次の手記はいよ/\二川重明が生れた時の事で、之で見ると、重行が子供を得た喜びが、野村の父のそれより遙かに勝っていた事が分るのだった。重明の生れたのが、野村より一月ばかり早かった事は、既に野村のよく知っている事だった。

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 二川の子供が生れた。僕の方は一月ほど後らしい。
 子供が生れたという報を受取って、京都へ飛んで行き、やがて帰って来た時の、彼の歓喜雀躍ぶりは到底筆紙に尽せる所ではなかった。
 僕が喜びに行くと、彼は僕に抱きつかんばかりにして、
「君、君、男の子だよ。ぼ、僕にそっくりなんで。そりァとてもよく似ているぜ。君は信じないだろうけれども」
「え、僕が信じないって、そりァ、どういう意味だ」
 僕は彼が変な事をいうので、急いで訊き返したが、彼はもう夢中で、
「いやさ、君が信じようが信じまいが、僕の子供は僕にそっくりなんだぜ、丸々と肥った色の白い、とてもいゝ子なんだ」
「二川家も之で万々歳だね」
「そうだとも。もう大丈夫だ。重武なんかに指一本指させる事はない。朝子もどんなに仕合せだか分りやしない」
「奥さんも喜んだろうね」
「僕が躍り上って喜ぶのを見て、泣いていたよ」
「所でだがね」
 僕は重武の名が出たので、ふと思いついて、
「もう君も後継が出来たから安心だし、重武君もこの頃は大分身持も直ったようだし、目出度い事のあったのを幸いに、勘当を許して、東京に住むようにして上げたらどうだ」
 僕は多分二川は嫌な顔をするだろうと思ったが、案外しんみりとして、
「うん、朝子もそういうのだ。僕アもう五年ばかり会わんからなア」
 重武は重行の父重和が芸者を妾にして生ませた子で、それだから、重行がひどく嫌うのだが、元からそう悪い人間ではなかった。重武は十一の年に認知されて、二川家に引取られたが、父の重和は間もなく死ぬし、引取られた時には重行はもう二十一で、始めから反感を持っていたし、重武の方にも僻《ひが》みがあったし、それに何といっても行儀などは出来ていないので、召使までが蔭口をいうような有様で、重武を不良にしたのは、重行始め周囲のものの責任ともいえるのだ。
 重武は十八の年にはもう女と酒を知って、身を持崩し、二川家を飛出して、それから兄の名を騙《かた》って、方々で金を借り倒し、危く刑法に触れる事まで仕出かして、二十の年に放浪の旅に出て、爾来三年間、時々兄に無心を吹きかけては、旅を続けているのだった。
 重行はいい続けた。
「もうあれ[#「あれ」に傍点]に勝手な事をされる心配もないし、許してやってもいゝとは思っているんだが、まア考えて置こう」
 僕はそれ以上追及せずに帰って来た。
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 次の日記はそれから二三ヶ月経ったもので、野村は既に生れていたのである。

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 どうも二川の溺愛ぶりには恐れ入った。僕もむろん生れた子を可愛いとは思うが、二川の真似は出来ない。彼は恰《まる》で外の事を忘れている。明けても暮れても、赤ン坊の顔ばかり眺めているのだ。あの若さで、子爵の御前が、不器用な手つきで赤ン坊を抱いて、あやしている姿は天下の珍景だ。
 然し、僕は二川が新たに生れた子供に対する態度を通じて、彼がどんなに妻を熱愛しているかを知る事が出来る。全く彼が子供を得た喜びの半分は、彼の亡き後に妻が頼って行くものが出来たという事にあるのだ。
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