たので、重武はそこで話を切上げて、その方に行った。
野村は屍体の安置してある部屋に行って、線香を上げたり蝋燭をつけたりして、お通夜を勤めることにした。
三
野村は翌朝家に帰ると、ひどく疲れていたので、何を考える暇もなく、グッスリ寝込んで終《しま》った。
正午《ひる》少し以前《まえ》に眼を覚して、食事をすませて、もう一度二川家へ行こうか、それとも鳥渡《ちょっと》事務所の方へ顔出ししようか、いっそ今日は休んで終《しま》おうかと迷っている所へ、母が這入って来た。
母はいつにない厳粛な顔をしていた。
「鳥渡《ちょっと》話したい事がありますがね」
野村は母の様子が余り真剣なので、思わず坐り直した。
「何ですか、お母さん」
「亡くなったお父さんのおいゝつけなんですが、もし二川家に何か変った事が起るか、それとも重明さんが亡くなった時に、儀作に之を渡すようにといって、書遺して置かれたものですが――」
といって、母は手に持っていた大きな厚ぼったい書類袋を差出した。
それには父の儀造の筆跡で、
[#天から4字下げ]二川家に関する書類
と書いてあって別に朱で「厳秘」と書き添えてあった。
野村は驚いてそれを受取った。
母は多少その内容について知っているらしく、
「悠《ゆっく》りお読みなさい。今日は事務所へ出なくてもいゝでしょう」
「えゝ」
野村の行っている法律事務所は、父が面倒を見たいわばお弟子の経営で、彼は無給で見習いをしているのだから、可成《かなり》勝手が出来るのだった。
「今日は休みますよ」
「そうなさい」
といって、母は部屋を出て行った。
野村は変に昂奮を覚えながら、書類袋を開《あ》けた。
中には父の日記の断片と思われるものや、二川重行から来た書状や、告訴状の写し見たいなものや、報告書見たいなものが這入っていた。
野村は一通り眼を通した後に、大略年代順に並べて見た。
一番最初のものは、今から凡《およ》そ三十年以前のもので、重明や儀作の生れる二年ほど前の父の手記だった。
[#ここから2字下げ]
今日、二川重行が事務所に訪ねて来た。鳥渡待たしたといって、ひどく機嫌が悪かった。華族で金持で我まゝ育ちだから、実に始末が悪い。先代の重和という人も、気短かな喧《やか》ましい人だった。どうも二川家の遺伝らしい。
用件はというと、例の如く相続者の問題だ。
僕も鳥渡癪に障ったから、
「一体君はいくつか」
と訊いてやった。
「君と同じ年だ」
「じゃ、やっと、三十二じゃないか、奥さんは確か二十七だろう。未だ子供を諦める年じゃない。相続人、相続人といって騒ぐのは早い」
すると、二川は妙に萎《しお》れていうのだった。
「いや、朝子は身体が弱いから、到底子供は望めない。それに僕は心臓に故障があるから、いつ死ぬか分らんし――」
「心細いことをいうな、大丈夫だよ」
「駄目だ」
「大丈夫だ」
すると、二川は急に威丈高になって、
「君は何だ。僕の顧問弁護士じゃないか、相続の問題については、真面目に僕のいう事を聞く義務がある。君がそんな態度を執るなら、今日限り顧問弁護士を断って、他へ相談に行く」
そういわれては仕方がないので、
「よし、じゃ聞こう」
「僕が死ぬと、誰が二川家を相続するのだ」
「いつもいう通り、奥さんに相続権があるが、それでは二川家は絶えて終う。重武君が相続する順になるだろう」
「それが僕は堪えられないんだ。あの放蕩無頼の重武に、二川家を相続させる事は、いかなる理由があっても嫌だ。卑《いや》しい女を母親に持って、居所も定めず放浪している人間なんかに、二川家を継がしてなるものか。そんな事をしたら、奴は朝子をどんな眼に会せるか分らない」
「その事は度々聞いた。或る程度まで僕は同感だ。それなら養子をするより仕方がない。尤も君が死んだ後に、奥さんが養子することも出来るが」
「僕は血の続きのない他人に、二川家を譲りたくない」
「そんな事をいっても無理だ。華族は法律上の親族か、或いは同族以外からは養子を迎える事が出来ない」
「あゝ」
二川は落胆したように溜息をついた。
二川家は代々子供の少い家で、重行の父の重和は一人子だし、祖父の重正には弟が一人あるきりだった。御維新後この弟の後はどうなったかはっきりしないが、仮りにその孫があるとして、重行の再従兄弟《またいとこ》になって法律上の親族であるが、養子にするにはその子でなければ年が釣合わないが、そうなるともう親族でなくなって終うのだ。
それで、養子をするとすれば、全然血の続きがなくなり、それを嫌えば、重武に譲るより途はないのだ。
「あゝ」と、二川は又深い溜息をついて、「顧問弁護士として、何かいゝ方法を考えて呉れ」
「それは無理というものだ。重武君以外
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