知っているのだから、喧嘩になるようなら、そういってあげようかと思っていると、いい塩梅《あんばい》にそれっきり話がしまいになったらしいの。
そうこうしているうちに大変な事が持ち上がったの。奥さんはほら前にいった通り瀕死《ひんし》の病人でしょう、先生の事なんかお耳に入れるとどんな事になるか分からないので、お役人も考えていたらしいのですけれども、聞かなきゃならない事もあるし、話さずに置く訳に行かなくなったので、まあお米さんが引き受けて、遠回しに話し出すと、奥さんは案外平気なんですって、気丈な方ね。そうしてお米さんに、『旦那さんはかねがねもしもの事があったら、書斎の西北の隅の腰羽目《こしばめ》の板を少しズラすと鍵穴があるから、そこを開けると遺言が入っているから開けて見るように』と仰しゃっていたからといって、奥さんは預かってあった鍵をお出しになったのよ。
お役人なんてやっぱりあわてるのね。お米さんが自分が持って行くのは嫌なものだから、鍵をあたしに頼んだんでしょう。あたし仕方がないから書斎に持って行ったの。そうすると検事さんでしょう、痩せこけた上役らしい人がしかつめらしい顔で受け取ってあたしに『西北はどっちですか』と聞くでしょう。あたし達いつでも右左っていってるんですもの。突然《だしぬけ》に西だの東だのったって、容易に分かりゃしないわ、考え込んでいると、丸顔の肥《ふと》ったもう一人のお役人が磁石を出しかけたの。ところがそれがズボンの帯革に鎖がからまってなかなかはずれないの。肥っているから自分の腰の所がよく見られないのでしょう。あわてるから反《かえ》ってなかなかとれないの。検事さんは少しイライラしていたようだわ。やっと鎖が外れると、ほらあの金で出来た磁石によく蓋《ふた》がついているでしょう。あれなのよ。それでなかなか蓋が開かないの。検事さんはとうとう癇癪《かんしゃく》を起こして、下村さんか内野さんかを呼ぶつもりでしょう。壁に取りつけたポッチを一生懸命に押し出したの。呼び鈴のつもりなんでしょうけれども、あれは電灯のスイッチなんですもの。誰も来る気遣いはないわ。年寄りの癖に新式のスイッチを知らないんでしょうかね。あたし教えて上げようかと思っているうちに、やっと磁石の蓋が開いたの。
『えーとこっちが北で、こっちが西と、この隅です』と机の置いてある真後ろの隅を指したの。お爺さんはやっ
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