論倶楽部に行く度にはチョイチョイ顔を見合わせるし、個人的に親しく口は利かなかったが、会議の時の議論などは中々しっかりしていて、私の意見にもかなり一致する所が多かったので、これは遣り手だぞと思ったことを記憶している。私は、然し、本来不精なのと、中々意見が多くて、そして自分の意見通り行われないと面白くないという性質なので、先輩の多いその倶楽部では自然黙って聞いていることが多くなり、いつとはなく遠のいて行った。そのうちに書記長に迎えられた人もやはり意見が行われない為かだんだん初めの意気込みがなくなって行くらしいことを耳にした。やがて一年経たないうちに辞めて終ったという話だった。
N・K・倶楽部の部員で私と同じ科を出たOという男がいたが、それが森下雨村君の親友だった。そんな関係で、以前から探偵小説が好きで、当時も盛んに新趣味などを読み耽った私は、同時に熱心な新青年の愛読者となった。私にも書いて見ないかという話があったが、とても僕などにはと尻込みをしているうちに、乱歩君の「二銭銅貨」が現われ、次いで、「D坂の殺人事件」「一枚の切符」などの名篇が陸続として現われた。
当時これ等の名篇は創作探偵
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