ともに大人しい人といふ印象を与へて、富永は逝つた。そしてそれが、全てを語るやうだ。

 人が、真率にして齢を重ねる時、「習慣」の存在に対して次第に寛容になることは、自然なことである。そしてそれは、それまではよろしい。けれどもやがて彼がその寛容を手段の如く把持するに至つて、彼は堕落である。だが、寛容であることは自説的であるよりも遙かに易しい。良心は遅かれ早かれ、磨滅する性質のものだ。それから、人々によつて真面目な手記と見做されてゐるものはすべて、これら寛容な人達、殊には老人の手によつて遺された。
 真率にして富永は齢を重ねていつた。寛容を識つた。ところで代[#「代」に「ママ」の注記]は甚だしいヂャナリズムでいつぱいだつた。彼は、自我崇拝主義者(となつた)であつた。智的享楽性に乏しくされた。ユーモアを虐待することと、人格者であるといふことと、平和と苟安《こうあん》とは同義で通用する日本の、そして帝都は彼の育つた雰囲気であつた。かかる時自我崇拝主義は微笑んだ――。
 ボオドレヱルは「自我崇拝閣下」と綽名《あだな》された。けれども一方、会衆の前に飄然《へうぜん》として出て来て、「君、赤ン坊の脳
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中原 中也 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング