髄を食つたことがありますか」などといつてゐる。そしてかうした例は彼について多い。然らばボオドレヱルは――ボオドレヱルのは、彼が彼自身の部屋に於ける、天才的狂爛[#「爛」に「ママ」の注記]の、それが対他するに際して、即ち狂爛が諦念の形式にまで置換されるに際して、その瞬間線上に於ける「自我崇拝閣下《バリユメル》」であつたのだと、君が若しボオドレヱルを好きなら考へなければなるまい。さうしてサムボリスムなる名称のきまるまで、その一派は「デカダン派」を以て自称してゐることを思い合せて貰はう。

 富永は、彼が希望したやうに、サムボリストとして詩を書いて死んだ。
 彼に就いて語りたい、実に沢山なことをさし措《お》いて、私はもう筆を擱《お》くのだが、大変贅沢をいつても好いなら、富永にはもつと、相[#「相」に「ママ」の注記]像を促す良心、実生活への愛があつてもよかつたと思ふ。だが、そんなことは余計なことであらう。彼の詩が、智慧といふ倦鳥を慰めて呉れるにはあまりにいみじいものがある。
 そしてこれが、夭折した富永である。誰の目にも大人しい人として映つた。富永がいまさらのやうに憶ひ出される。
[#地付き]
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