うな恰好で、事実なのだ、これは事実なのだと、声もなく呟いてゐるのであつた。
時計をみた。十一時二十分であつた。もう汽車はない。明日一番で立たう。
だがなあ……と悲しい心の隅にはまた、へんに閑のある心があつて、こんなことをも思つてみるのであつた。死んでから急いだつてなんにならう……だがこんなことを考へるのも可笑《おか》しい、うん、可笑しい。それにしても、――私はまた更《あらた》めて思ふのであつた、弟は既に旅立つてゐる。弟はもう此の世のものではないのである!――私は眼を遠くに向けた。硝子障子の向ふには雨戸があつた。もう閉めてゐたのであつた。柱も壁も、何時もどほりであつた、そしてそれはさうであるに違ひなかつた。
私は同宿人のゐないことが、つまり六畳と三畳二間きりのその二階が私一人のものであることが、どんなに嬉しかつたか知れはしない。存分に悲しむために、私は寝台にもぐつて、頭から毛布をヒツかぶつた。息がつまりさうであつた。が、それがなんであらう、私がビールを飲んでゐる時、弟は最期の苦しみを戦つてゐた!
火葬《やき》場からの帰途、それは薄曇りの日であつたが、白つぽい道の上を歩きながら、
前へ
次へ
全21ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中原 中也 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング