気だ。昨日と今日は、床のそばに机を出して貰つて、レンブラントの素描を模写した。友達の住所録も、整理した。此の分では直きに、庭くらゐは歩けるやうになるだらう。
 兄さん、僕は元気だ。兄さんもどうぞ元気でゐてくれ。』それから一寸置いて、ちがつた字体で、『やつぱり迷はず和漢の療法を守つてゐればいいのだね。西洋医学なぞクソでもくらへだ』とあつた。
 私は喜んだ。しかしほんとだらうか。だがやつぱり不治なぞといふことはないだらうと、私は猶|一縷《いちる》の望みは消さないで持つてゐたことに、誇りをさへ感じた。秋の日を受けた、弟の部屋の縁側は明るく、痩せ細つた足に足袋を穿いて、机に向つてゐる弟の姿が、庭の松の木や青空なぞと一緒に見えた。
『あれが中日和といふものだつたのでせう』と母は、埋葬を終へた日の宵、私達四人の兄弟がゐる所で云つた。
『中日和つて何』と、せきこんで末の弟は訊いた。
『死ぬ前に、たいがいその一寸前には、気持のいい日があるものなんです。それを中日和。』

 友達を訪ねて、誘ひ出し、豪徳寺の或るカフエーに行つて、ビールを飲んだ。その晩は急に大雨となり、風もひどく、飲んでる最中二度ばかりも
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