く入学が出来たかと思へば、その年の秋から床に就き、どやどやつと病状が進んで、もう百中九十九迄助からないことが事実になつたのだと思つた弟が、母にさう云つた時には恐らく、私なぞの未だ知らない真実があつたに相違ない。
 弟は、母にだけさう云つたのだし、母も亦弟が死んでしまつてからさう云つたと語つてきかせた。聞いた時には一寸、何故生きてゐるうちに話して呉れなかつたのかと、怨めしい気持がしたが、俯いてゐる母をジツと見てゐると、生きてゐるうちには語りたくなかつたのだと分つた。
 死ぬが死ぬまで、大概の人間が、死ぬのだとは信じ切れないのでこそ、人は生きてゆく所以《ゆゑん》でもあるのだが、母も亦私も、祖母も亦他の弟達も、死ぬが死ぬまで、死ぬだらうと思ひながらも死ぬのだとは思つてゐなかつたので、いよいよ死んでしまつた時には、悲しみよりもまづ、ホーラ、ホラ/\と、ギヨツとして顔を見合せるといつた気持が湧起つたのだつた。
 秋床に就き、東京の病院に翌年三月迄ゐて、郷里に帰つた。そしてその年の十月二十三日には、不帰の客となつたのだつたが、私は八月初めに帰り、九月八日迄弟の傍にゐた。死ぬにしてもそんなに早く死ぬ
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