で、さりとてその緒口も見付からない時であつたので、ええ、戴きますとさう云つた。その云ひ方がやけにまた力を籠めてゐたので、奥さんは医者を見て妙な顔付をした。『うん、持つて来い。』奥さんは酒の仕度に行つた。
 読者よ、何卒《なにとぞ》茲に見られる私の執拗を咎めないで下さい。お咎めになるまでもなく、私自身かういふ点では十分に罰せられてゐる。しかしそれにしても、もし今後私が少々人物を書き分けることができるとすれば、それは此の執拗を以て、辛いながらも人に接し、小胆なくせに無遠慮でもあるからなのです。
 酔ひが廻るに従つて、私はまた例の如く喋舌りまくした[#「した」に「ママ」の注記]。その私はげにも大馬鹿三太郎であつた。後ではまた慚愧《ざんき》するのだとも思はないでもないのだが、これが私の人に親炙《しんしや》したい気持の満たし方であり又、かくすることによつて私は人に懐《なつ》き、人を多少とも解するのである。その大馬鹿三太郎を抑制することは今、この医者の友人の長男を可笑しきものとしないためには役立つのであるが、自己表現欲、或ひは又智的好奇心のためには、ただただ害があるのである。されば、ままよ。損をすることには馴れてゐる。尠くともお酒が這入つてゐれば、淡白といふか愚かといふか、人が体面を慮《おもんばか》つて遠慮するていのことくらゐは、ても眼中にないのである。
 私はそこで、『貴方が弟を到底助からないと信じていらつしやることを知つた後では、看護婦でもいい、卑しい女でもいい、ええ、つまり卑しい女の方がいい、ともかく何等かの点で弟が好きになる女と、忽ち結婚させたかつた』とも云ひ、『どうせ死ぬと、仮令《たとへ》分つてゐても、患者に云ひ聴かせることはお願ひですからやめて下さい。』とも云つた。
 すると医者はまた、例の悟りを参照しようとするから、『いいえ、それは間違つてゐます。諦めが大事であるとはいへ、諦めがつかないことが直ちに愚かであるとは申せません。此の世に乞食はゐるものだといふことが真でも、では若干は乞食もゐるやうにすべき理由はないのと同じことでございます』と、死んだ弟を思へば、弟が身を以て感ぜしめられた事を種に、私はまたなんたる狂態だらうと、かにかくに自責の情が湧くのでもあつたが、独りゐては、あれやこれやと迷ひ夢みる私であれど、人に対しては男性的といふか論理的といふか、思ひ切りよく理性
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