的であるのであつた。
奥さんは、もう出ては来ず、奥の方で琵琶を掻きならし、その子供のない太つちよの、快活無比の奥さんが鳴らす琵琶の音は少々ぞんざいで、嘲弄されてゐるやうな気持もされるのであつた。が、こんな気持を咬殺《かみころ》すことにも、私は今云つたやうに可なり男性的である。
而も猶、一寸立つて便所に行かうとすると、途中で曲つてゐる梯子段を踏み過《あやま》つて、私は四五段も辷り落ち、肘《ひぢ》をしたたか磨《す》り剥いたのだが、驚いてとんで来た医者に、抱き取られながらも、いい気味だいい気味だ、死んだ弟を忘れてゐたから罰が当つたのだと、急にまた千万無量な思ひをするのであつた。心臟よ、ドキドキと鳴れ、肘よ痛め。これが死んだ弟への懺悔の一端ともなれば、ああなんと、嬉しいことであらう!……
酒は顔全面にのぼつて来て、頭の心《しん》はヅキヅキした。
それからなほ三十分も飲んだ後、辞して立たうとすると、先刻は腰も打つたとみえ、腰が痛くてよろけさうになり、医者に助けられて自動車に入れられた時は、なんとも羞《はづか》しく、玄関に立つて可笑しさを怺《こら》へてゐた奥さんの顔は、自動車が田圃の中の道路を走つてゐる間中、眼に浮かぶのであつた。
家に著くや無理に、気持を引き立てて、腰の痛みをみせまいやうに一心に姿勢を作つて、『ただ今』といと冷然と云つた。
『まあまあ、沢山に飲んで。また今迄何のお話をしていたのでせう。』と母はその貧血の顔をのぞけて私を感じ取るのであつた。
『いいえただ、泰三の思ひ出話ばかりしてゐました。先生は僕の東京の話なぞ訊くものですから、分りよく納得のゆくやうに話しました。』
母は悲しげに私から眼を離すのであつた。
『もうみんな休みましたね』云ひながら私は私の寝床のある離れの方に歩いた。
その部屋には、祖母と私の床があつたのであるが、私が部屋に這入ると、祖母は目を覚まし、『おお/\御苦労だつた』と云つた。
悔恨は胸に迫つて、仰《あふむき》に寝ても、横になつても寝付かれなかつた。一町ばかり先にある、今自分の乗つた自動車の通つて来た道を、オートバイが遠雷のやうに近づき、やがて消えていつた。
[#地から1字上げ](一九三三・一〇・一八)
底本:「日本の名随筆 別巻42 家族」作品社
1994(平成6)年8月25日第1刷発行
底本の親本:「中原中也
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