のだ。

「歓べ!」と誰かゞ言つた。そのとほりだ。
 歓べなくなるや人は深淵に面する。そして「深淵はまた人を見返す」といふニイチェの言葉どほりになつてしまふのだ。現在殆んどすべての人はさうなつてしまつた。偶々快活で、自分の仕事を尊敬することを知つてゐる者がゐると、ヘンな所でイヂメられたりする。
 私は最初音楽上の技巧について言つたから、そのことでも結論をして置くが、――要するに、すべてその物自体でなくそれを表現することゝかなんだとか、副次的なことでの困難は、何時も生命に座標軸を課することから起るのだ。つまり「みることをみようとする」態度から起るのだ。実はたゞ行りさへすれば好いのに、その効果を知ることを急ぐことから起るのだ。
 だから私は繰返していふ、座標軸を、概念を、偶像を、他人の眼を忘れよ!――このことがよく了解された時に、ベートーベンの、ドビュッシイの、フランクの、スクリャビンの、その各々の欠陥を点検する長々しい言葉は無用となる。
 忘れよ! 忘れよ! 自展的観念が誘起する記憶以外の記憶は、たゞ雑念に過ぎないものだ。



底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店
   2003(平成15)年11月25日初版発行
初出:「スルヤ」
   1928(昭和3)年10月21日号
入力:村松洋一
校正:小林繁雄
2009年5月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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