、ゆつくりして帰つて行く。
私は先晩の水を飲んで、煙草を二三本吸ふ。それが三十分はかゝる。それから水を汲んで来て、顔を洗ふ。薬鑵に水を入れかへたり、きふすを洗つたり、其の他、一々は云はないけれど、男一人でゐるとなると、却々《なかなか》忙しいものである。
それらがすむとまた一服して、新聞は文芸欄と三面記事しか読みはしない。ほかの所は読んでも私には分らない。だいぶ足りないのだらうと自分でも思つてゐる。
今朝の文芸欄では、正宗白鳥がホザイてゐる。勝本清一郎といふ、概念家をくすぐつてゐる。「人間の心から、私有欲を滅却させようとするのと同様の大難事である。」なぞと書いてゐる。読んでゆくと成程と思ふやうに書いてゐる。ところで私にはなんのことだか分らない。私が或る一人の女に惚れ、その女を私有したいことと、人間の私有欲なんてものとが同日に論じられてたまるものか、なんぞと、読んぢまつてから、その文章の主旨なぞはまるでおかまひなしに思つちまふ。
凡そ心も精神もなしに、あの警句とこの警句との、ほんの語義的な調停を事としてゐて、それで批評だの学問だのと心得てゐる奴が斯くも多いといふことは、抑々、自分の
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