いまひとたびは未練で眺め
  さりげなく手を拍きつつ
路の上《へ》を走りてくれば
    (暮れのこる空よ!)

わが家へと入りてみれば
  なごやかにうちまじりつつ
秋の日の夕陽の丘か炊煙か
    われを暈《くる》めかすもののあり
      
      古き代の富みし館《やかた》の
          カドリール ゆらゆるスカーツ
          カドリール ゆらゆるスカーツ
      何時の日か絶えんとはする カドリール!


秋の夜空

これはまあ、おにぎはしい、
みんなてんでなことをいふ
それでもつれぬみやびさよ
いづれ揃つて夫人たち。
    下界は秋の夜といふに
上天界のにぎはしさ。

すべすべしてゐる床《ゆか》の上、
金のカンテラ点《つ》いてゐる。
小さな頭、長い裳裾《すそ》、
椅子は一つもないのです。
    下界は秋の夜といふに
上天界のあかるさよ。

ほんのりあかるい上天界
遐《とほ》き昔の影祭、
しづかなしづかな賑はしさ
上天界の夜《よる》の宴。
    私は下界で見てゐたが、
知らないあひだに退散した。


宿 酔

朝、鈍い日が照つてて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔ひだ。
もう不用になつたストーヴが
  白つぽく銹《さ》びてゐる。

朝、鈍い日が照つてて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。


少年時


少年時

黝《あをぐろ》い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆《きざし》のやうだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。
 
翔《と》びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面《も》を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午《ひる》過ぎ時刻
誰彼の午睡《ひるね》するとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫《ああ》、生きてゐた、私は生きてゐた!


盲目の秋

   I

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間《かん》、小さな紅《くれなゐ》の花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまふ。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思つて
  酷白《こくはく》な嘆息するのも幾たびであらう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華《ひがんばな》と夕陽とがゆきすぎる。

それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛《たた》へ、
  去りゆく女が最後にくれる笑《ゑま》ひのやうに、
  
厳《おごそ》かで、ゆたかで、それでゐて佗《わび》しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

     あゝ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

   II

これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。

人には自恃《じじ》があればよい!
その余はすべてなるまゝだ……

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。

平気で、陽気で、藁束《わらたば》のやうにしむみりと、
朝霧を煮釜に填《つ》めて、跳起きられればよい!

   III

私の聖母《サンタ・マリヤ》!
  とにかく私は血を吐いた! ……
おまへが情けをうけてくれないので、
  とにかく私はまゐつてしまつた……

それといふのも私が素直でなかつたからでもあるが、
  それといふのも私に意気地がなかつたからでもあるが、
私がおまへを愛することがごく自然だつたので、
  おまへもわたしを愛してゐたのだが……

おゝ! 私の聖母《サンタ・マリヤ》!
  いまさらどうしやうもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――

ごく自然に、だが自然に愛せるといふことは、
  そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、さう誰にでも許されてはゐないのだ。

   IIII

せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披《ひら》いてくれるでせうか。
  その時は白粧《おしろい》をつけてゐてはいや、
  その時は白粧をつけてゐてはいや。

ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に輻射してゐて下さい。
  何にも考へてくれてはいや、
  たとへ私のために考へてくれるのでもいや。

ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいてゐて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、

いきなり私の上にうつ俯して、
それで私を殺してしまつてもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土《よみぢ》の径を昇りゆく。


わが喫煙

おまへのその、白い二本の脛《あし》が、
  夕暮、港の町の寒い夕暮、
によきによきと、ペエヴの上を歩むのだ。
  店々に灯がついて、灯がついて、
私がそれをみながら歩いてゐると、
  おまへが声をかけるのだ、
どつかにはひつて憩《やす》みませうよと。

そこで私は、橋や荷足《にたり》を見残しながら、
  レストオランに這入《はひ》るのだ――
わんわんいふ喧騒《どよもし》、むつとするスチーム、
  さても此処《ここ》は別世界。
そこで私は、時宜にも合はないおまへの陽気な顔を眺め、
  かなしく煙草を吹かすのだ、
一服、一服、吹かすのだ……


妹 よ 

夜、うつくしい魂は涕《な》いて、
  ――かの女こそ正当《あたりき》なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
  もう死んだつていいよう……といふのであつた。

湿つた野原の黒い土、短い草の上を
  夜風は吹いて、 
死んだつていいよう、死んだつていいよう、と、 
  うつくしい魂は涕くのであつた。
夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
  ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかつた……


寒い夜の自我像

きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かず
人々の憔懆《せうさう》のみの愁《かな》しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を
わが瑣細なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。
蹌踉《よろ》めくままに静もりを保ち、
聊《いささ》かは儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諌《いさ》める
寒月の下を往きながら。

陽気で、坦々として、而《しか》も己を売らないことをと、
わが魂の願ふことであつた!


木 陰

神社の鳥居が光をうけて
楡《にれ》の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木陰は
私の後悔を宥《なだ》めてくれる

暗い後悔 いつでも附纏ふ後悔
馬鹿々々しい破笑にみちた私の過去は
やがて涙つぽい晦暝《くわいめい》となり
やがて根強い疲労となつた

かくて今では朝から夜まで
忍従することのほかに生活を持たない
怨みもなく喪心したやうに
空を見上げる私の眼《まなこ》――

神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭は
私の後悔を宥めてくれる


失せし希望

暗き空へと消え行きぬ
  わが若き日を燃えし希望は。

夏の夜の星の如くは今もなほ
  遐《とほ》きみ空に見え隠る、今もなほ。

暗き空へと消えゆきぬ
  わが若き日の夢は希望は。

今はた此処《ここ》に打伏して
  獣の如くは、暗き思ひす。

そが暗き思ひいつの日
  晴れんとの知るよしなくて、

溺れたる夜《よる》の海より
  空の月、望むが如し。

その浪はあまりに深く
  その月はあまりに清く、

あはれわが若き日を燃えし希望の
  今ははや暗き空へと消え行きぬ。




血を吐くやうな 倦《もの》うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦うさ、たゆけさ

空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎《も》ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。

嵐のやうな心の歴史は
終焉《をは》つてしまつたもののやうに
そこから繰《たぐ》れる一つの緒《いとぐち》もないもののやうに
燃ゆる日の彼方《かなた》に睡る。

私は残る、亡骸《なきがら》として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。


心 象

   I
松の木に風が吹き、
踏む砂利の音は寂しかつた。
暖い風が私の額を洗ひ
思ひははるかに、なつかしかつた。

腰をおろすと、
浪の音がひときは聞えた。
星はなく
空は暗い綿だつた。

とほりかかつた小舟の中で
船頭がその女房に向つて何かを云つた。
――その言葉は、聞きとれなかつた。

浪の音がひときはきこえた。
   
   II
亡びたる過去のすべてに
涙湧く。
城の塀乾きたり
風の吹く

草|靡《なび》く
丘を越え、野を渉《わた》り
憩ひなき
白き天使のみえ来ずや

あはれわれ死なんと欲す、
あはれわれ生きむと欲す
あはれわれ、亡びたる過去のすべてに

涙湧く。
み空の方より、
風の吹く


みちこ

みちこ

そなたの胸は海のやう
おほらかにこそうちあぐる。
はるかなる空、あをき浪、
涼しかぜさへ吹きそひて
松の梢をわたりつつ
磯白々とつづきけり。

またなが目にはかの空の
いやはてまでもうつしゐて
竝びくるなみ、渚《なぎさ》なみ、
いとすみやかにうつろひぬ。
みるとしもなく、ま帆片帆
沖ゆく舟にみとれたる。

またその※[#「桑」におおがい、87]《ぬか》のうつくしさ
ふと物音におどろきて
午睡の夢をさまされし
牡牛《をうし》のごとも、あどけなく
かろやかにまたしとやかに
もたげられ、さてうち俯しぬ。

しどけなき、なれが頸《うなじ》は虹にして
ちからなき、嬰児《みどりご》ごとき腕《かひな》して
絃《いと》うたあはせはやきふし、なれの踊れば、
海原はなみだぐましき金《きん》にして夕陽をたたへ
沖つ瀬は、いよとほく、かしこしづかにうるほへる
空になん、汝《な》の息絶ゆるとわれはながめぬ。


汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘《かはごろも》
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠《けだい》のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気《おぢけ》づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……


無 題

   I
こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまへと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまへのやさしさを思ひ出しながら
私は私のけがらはしさを歎いてゐる。そして
正体もなく、今茲《ここ》に告白をする、恥もなく、
品位もなく、かといつて正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂ひ廻る。
人の気持ちをみようとするやうなことはつひになく、
こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに
私は頑《かたく》なで、子供のやうに我儘《わがまま》だつた!
目が覚めて、宿酔《ふつかよひ》の厭《いと》ふべき頭の中で、
戸の外の、寒い朝らしい気配を感じながら
私はおまへのやさしさを思ひ、また毒づいた人を思ひ出す。
そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自《みづか》ら信ずる!

   II
彼女の心は真つ直い!
彼女は荒々しく育ち、
たよりもなく、心を汲んでも
もらへない、乱雑な中に
生きてきたが、彼女の心は
私のより真つ直いそしてぐらつかない。

彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に
彼女は賢くつつましく生きてゐる。
あまりにわいだめもない世の渦のために、
折に心が弱り、弱々しく躁《さわ》ぎはするが、
而《しか》もなほ、最後の品位
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