る。
然し今、頻繁なる対人圏と同様に、人を弱くするものがある。それはかの落付のない勉強である。――同胞諸子が堅忍なられんことを!
(とまれ一切物中に於ける、各自我のスペクトルの乱雑が、近時世界の芸術に萎凋を来してゐる。)
茲に於て私は少々傍道をしなければならないのであるが、――由来我が文学は言葉を読むと同時に触り[#「触り」に傍点]を感取するが重要である。
日本武尊が古事記中に叫ばれた歌は、明かに一呼吸中に歌はれたものであつて、一呼吸中のものとしては実に絶品であるが、デヴヱロッピングではない。斯かる場合にこそ触り[#「触り」に傍点]は甚だ重要な役割をするのであつて、惟ふにこれは歌といふよりも散文の澄んだる箇所の膨脹したものである。言換れば人情を包摂せざる範囲の芸術である。尚言換れば対人圏の論理、即ち誠実より以前の芸術である。勿論其処に誠実がなくはないが、消極的にあるまでである。即ち「在る」として誠実だが「行動する」として誠実ではない。即ち精神的であるが魂的ではない。(釈迦は諦観したであらうが、諦観した人として歩いたかどうか私は知らぬ。)
歩かざる人にある芸術は、竟に一呼吸中の
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