々なものである。芸術、技術等の世界では、道具とか形式とかの相違が非常に大きい役を演ずるのだといふことは茲でも繰返し想起される必要がある。
 では詩とは、どういふものかと問はれるでもあらう。出来ることなら即座にお答へしたい。だが、では帽子といふものはどういふものでせう? 恐らく「ああいふもの」と、貴方にも私にも互ひによく分つてゐるから「ああいふもの」なのですが「ああいふもの」だといふ以外に、此の場合他の如何なる言葉も帽子の属性なり用途なりの指示に止るほかはないでせう。
 とはいへ詩とは、かういふものだと、何とか云つて見たく思ひます。で吃り吃り左に云ふ所は、どうか笑はないで聞いて貰ひたい。
 詩とは、何等かの形式のリズムによる、詩心(或ひは歌心と云つてもよい)の容器である。では、短歌、俳句とはどう違ふかと云ふに、その最も大事だと思はれる点は、短歌・俳句よりも、度合的《どあひ》にではあるが、繰返し、あの折句だの畳句だのと呼ばれるものの容れられる余地が、殆んど質的と云つても好い程に詩の方には存してゐる。繰返し、旋回、謂はば回帰的傾向を、詩はもともと大いに要求してゐる。平たく云へば、短歌・俳句よ
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