正の遺産だけで間に合はす傾向があるに反して、何しろその見本は身辺に乏しかつた明治の詩人は本場のを勉強し活気を持つてゐたと考へられる。
で、まづ我々詩人が、詩の生存態をハツキリと掴むことが問題であると思ふ。それにはその本場の作品を、読むことよりほかには手がないと思はれる。「人間修業」だの、「自然に親しむ」なぞといふことが云はれるが、それはもとより大切乍ら、それと詩とは只関係が密接なだけで、先づ何よりも先人の作品は読まれなければならぬ。それを学ばないに拘らず、思念だけでは足りない、何かしら芸術は道具を要するものであるから[#「道具を要するものであるから」に傍点]、作品が読まれなければならぬ。
茲で一寸話は変るが、由来西洋の詩は鈍感なものであるといふやうな通念がある。勿論それは余りお菓子の欲しくない人が駄菓子の方が寧ろ美味い、といふ時のやうなふうにして発生した通念と見えるが、それにしても、一応の由来はあると思へるので、一寸その事に就いて云つてみれば、
西洋人の方が、我々よりも尠くも形の上では楽天的である、従つて即興的であるよりも構成を怡しむ習性を一層持つてゐる。つまりより一層造型的だと
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