点]であつた。而も兎も角も詩の格を備へたものは、概して概念的であつた。
 何れにせよ、わが詩の伝統は未だ微々たるものである。而して「伝統がない」、謂はば「型がない」とか「見本がない」とかいふやうなこと程、詩人にとつて辛いことはないのである。詩人が辛いばかりではない。読者も亦辛いのである。――とまれ無形の期待なぞといふものはない。期待がこれと口に云へない場合にも期待がある限り期待が期待してゐるなんらかの型[#「なんらかの型」に傍点]、といふものはあるのである。つまり予想出来るその型がないので、大衆の方では詩人に期待しようがものはないのである。するとなると、今度はそのことは詩人にとつて辛いのである。詩人が孤立するからといふのではない。芸術といふものが、普通に考へられてゐるよりも、もつとずつと大衆との合作になるものだからである。
 これを短歌や俳句の場合でみると、大衆は今後歌人なり俳人が書いて呉れようと呉れまいと、書いて呉れるとすればどういふ「型」のものを書いて呉れるかゞ分つてゐるし、従つて大衆の期待があると云へるのである。(茲で「型」といつてゐるのは決して詩の定形を云つてゐるのではないから
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