らば私にも分る。だがもし、音楽よりも文学にだとか、文学よりも絵画に関心は向いてゐるといふやうなことならば、此の場合私には分らない。蓋し、今仮りに文学よりも絵画の方により多くの関心が注がれてゐると云ひたい人があつたとすれば、それはその人自身が文学よりも絵画の方を好きなのであらう。
 何やかと少しく話は乱れたが、何かしら道具を以て[#「何かしら道具を以て」に傍点]作されるものが詩であつて、それは、その詩の伝統を習得することによつて習得されるものである。それはその伝統の保守と超克とを問はず、伝統あつての話であり、新体詩と呼ばれて以来の詩の伝統は、猶貧しいものであるから、それを本場からよくソシヤクしなければならないと自ら鞭打したかつた迄である。
 紙数に余裕があるので、何かのために、左の言葉を手帖より抜書きして擱筆することとする。
「此の世の中から、もののあはれを除いたら、あとはもう意味もない退屈、従つて憔燥が残るばかりであらう。それで、今仮に詩的性情を持つ一青年があつたとして、かの成巧せる実業家、成巧せる政治家が、子供や孫、一族郎党でもゐなかつたとしたら、どんなに退屈するものであるかは、一寸
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