、外界をしかなくした時に、今考へてみれば私の小心――つまり相互関係に於いてその働きをする――が芽を吹いて来たのである。私はむし[#「むし」に傍点]に、ならないだらうか?
 私は苦しかつた。そして段々人嫌ひになつて行くのであつた。世界は次第に狭くなつて、やがては私を搾《し》め殺しさうだつた。だが私は生きたかつた。生きたかつた! ――然るに、自己をなくしてゐた、即ち私は唖だつた。本を読んだら理性を恢復するかと思つて、滅多|矢鱈《やたら》に本を読んだ。しかしそれは興味をもつて読んだのではなく、どうにもしやうがないから読んだのである。たゞ口惜しかつた! 「口惜しい口惜しい」が、つねに顔を出したのである。或時は私は、もう悶死するのかとも思つた。けれども一方に、「生きたい!」気持があるばかりに、私は、なにはともあれ手にせる書物を読みつゞけるのだつた。(私はむし[#「むし」に傍点]になるのだつた。視線がウロウロするのだつた。)
 が、読んだ本からは私は、何にも得なかつた。そして私は依然として、「口惜しい人」であつたのである。
 その煮え返る釜の中にあつて、私は過ぎし日の「自己統一」を追惜するのであつ
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