ママ」の注記]確信する。つまり、私は自己統一ある奴であつたのだ。若し、若々しい言ひ方が許して貰へるなら、私はその当時、宇宙を知つてゐたのである。手短かに云ふなら、私は相対的可能と不可能の限界を知り、さうして又、その可能なるものが如何にして可能であり、不可能なるものが如何に不可能であるかを知つたのだ。私は厳密な論理に拠つた、而して最後に、最初見た神を見た。
然るに、私は女に逃げられるや、その後一日々々と日が経てば経つ程、私はたゞもう口惜《くや》しくなるのだつた。――このことは今になつてやうやく分るのだが、そのために私は甞ての日の自己統一の平和を、失つたのであつた。全然、私は失つたのであつた。一つにはだいたい私がそれまでに殆んど読書らしい読書をしてゐず、術語だの伝統だのまた慣用形象などに就いて知る所殆んど皆無であつたのでその口惜しさ[#「口惜しさ」に傍点]に遇つて自己を失つたのでもあつたゞらう。
とにかく私は自己を失つた! 而も私は自己を失つたとはその時分つてはゐなかつたのである! 私はたゞもう口惜しかつた。私は「口惜しき人」であつた。
かくて私は、もはや外界をしか持つてゐないのだが
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