ことに私はそれに興味を持たぬ。そのイキサツを書くよりも、そのイキサツに出会つた私が、その後どんな生活をしたかを私は書かうと思ふのである。
気の弱さ――これのある人間はいつたい善良だ。そして気の弱さは、気の弱い人が人を気にしない間、善良をだけつくるのだが、人を気にしだすや、それは彼自身の生活を失はせる、いとも困つた役をしはじめる。つまり彼は、だんだん、社交家であるのみの社交家に陥れられてゆくのだ。恰度それは、未だあまり外界に触れたことのない、動揺を感じたことのない赤ン坊が、あまりに揺られたり驚かされたりした場合に、むし[#「むし」に傍点]を起す過程と同様である。そして近代人といふのは、多いか少いかこのむし[#「むし」に傍点]なのではないか? 殊に急劇に物質文明を輸入した日本に於てさうではないか?
近代にあつて、このむし[#「むし」に傍点]の状態に陥らないためには、人は鈍感であるか又、非常に所謂「常に目覚めてあれ」の行へる人、つまりつねに前方を瞶《みつ》めてゐる、かの敬虔な人である必要がある。さて、
私が女に逃げられる日まで、私はつねに前方を瞶めることが出来てゐたのと[#「と」に「
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