ママ」の注記]確信する。つまり、私は自己統一ある奴であつたのだ。若し、若々しい言ひ方が許して貰へるなら、私はその当時、宇宙を知つてゐたのである。手短かに云ふなら、私は相対的可能と不可能の限界を知り、さうして又、その可能なるものが如何にして可能であり、不可能なるものが如何に不可能であるかを知つたのだ。私は厳密な論理に拠つた、而して最後に、最初見た神を見た。
然るに、私は女に逃げられるや、その後一日々々と日が経てば経つ程、私はたゞもう口惜《くや》しくなるのだつた。――このことは今になつてやうやく分るのだが、そのために私は甞ての日の自己統一の平和を、失つたのであつた。全然、私は失つたのであつた。一つにはだいたい私がそれまでに殆んど読書らしい読書をしてゐず、術語だの伝統だのまた慣用形象などに就いて知る所殆んど皆無であつたのでその口惜しさ[#「口惜しさ」に傍点]に遇つて自己を失つたのでもあつたゞらう。
とにかく私は自己を失つた! 而も私は自己を失つたとはその時分つてはゐなかつたのである! 私はたゞもう口惜しかつた。私は「口惜しき人」であつた。
かくて私は、もはや外界をしか持つてゐないのだが、外界をしかなくした時に、今考へてみれば私の小心――つまり相互関係に於いてその働きをする――が芽を吹いて来たのである。私はむし[#「むし」に傍点]に、ならないだらうか?
私は苦しかつた。そして段々人嫌ひになつて行くのであつた。世界は次第に狭くなつて、やがては私を搾《し》め殺しさうだつた。だが私は生きたかつた。生きたかつた! ――然るに、自己をなくしてゐた、即ち私は唖だつた。本を読んだら理性を恢復するかと思つて、滅多|矢鱈《やたら》に本を読んだ。しかしそれは興味をもつて読んだのではなく、どうにもしやうがないから読んだのである。たゞ口惜しかつた! 「口惜しい口惜しい」が、つねに顔を出したのである。或時は私は、もう悶死するのかとも思つた。けれども一方に、「生きたい!」気持があるばかりに、私は、なにはともあれ手にせる書物を読みつゞけるのだつた。(私はむし[#「むし」に傍点]になるのだつた。視線がウロウロするのだつた。)
が、読んだ本からは私は、何にも得なかつた。そして私は依然として、「口惜しい人」であつたのである。
その煮え返る釜の中にあつて、私は過ぎし日の「自己統一」を追惜するのであつ
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