た。
 甞ては私にも、金のペンで記すべき時代があつた! とラムボオがいふ。
「だいいち」と私は思ふのだつた、「あの女は、俺を嫌つてもゐないのだし、それにむかふの男がそんなに必要でもなかつたのだ……あれは遊戯の好きな性《たち》の女だ……いつそ俺をシンから憎むで逃げてくれたのだつたら、まだよかつただらう……」
 実際、女は慥かにさういふ性《たち》の女だ。非常に根は虔《つつま》しやかであるくせに、ヒヨツトした場合に突発的なイタヅラの出来る女だつた。新しき男といふのは文学青年で、――尠くもその頃まで――本を読むと自分をその本の著者のやうに思ひ做す、かの智的不随児であつた。それで、その恋愛の場合にも、自分が非常に理智的な目的をその女との間に認めてゐると信じ、また女にもそれを語つたのだつた。女ははじめにはそれを少々心の中で笑つてゐたのだが、遂にはそれを信じたらしかつた。何故私にそれが分るかといふと、その後女が私にそれらのことを語るのであつた。それ程この女は持操ない[#「持操ない」に「ママ」の注記]女である――否、この女は、ある場合には極度に善良であり、ある場合には極度に悪辣に見える、かの堕落せる天使であつたのだ。
 そして私の推察するに、私の所から逃げた当分は、新しき男とその友人の家などに行つた場合、男を変へたことを少々誇りげにし、その理由として男が自分に教へた理智的な目的を語つたり、もつと気紛れな場合には、私について人に分り易い欠点――そのために彼の女が私を嫌つたのではない欠点を語つたらしいのである。また、彼女がこの儘私の許にゐようか、それとも新しき男にしようかと迷つた時に、強ひて発見した私の欠点を語つたらしいのである。
 つまり女も、また新しき男も、心意を実在と混同する底の、幼稚な者たちであつた。
 しかし新しき男は、その後非常な勉強によつて、自分のその幼稚さを分つたらしいから、私はそれを具体的に話すことを此処でしなかつたのだ。

 友に裏切られたことは、見も知らぬ男に裏切られたより悲しい――といふのは誰でも分る。しかし、立去つた女が、自分の知つてる男の所にゐるといふ方が、知らぬ所に行つたといふことよりよかつたと思ふ感情が、私にはあるのだつた。それを私は告白します。それは、私が卑怯だからだらうか? さうかも知れない、しかし、私には人が憎めきれ[#「きれ」に傍点]ない底の、か
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