は思う。
 しかしながらまた、よほど以前の浮世絵師の手になる挿絵に私は全く感心する。人物の姿態のうまさ、実感でない処の形の正確さ、そして殊に感服するのは手や足のうまさである。昔の浮世絵師の随分つまらない画家の描いた絵草紙類においても、その画家の充分の努力を私は味《あじわ》い得るのである。そしてかなりの修業を積んでいると見えて、その形に無理がなく、そして最もむつかしい処の手足が最もうまく描きこなされている事である。
 手足のうまさの現れを私は昔の春画において最も味い得るものと思う。あれだけの構図と姿態と手足を描くにはちょっとした器用や間に合せの才能位いでは出来ないと思う。かなりの修業が積まれている。
 挿絵のみならず、油絵や日本画の大作を拝見する時、その手足を見ると、その画家の技量と修業の深浅を知る事が出来るとさえ私は思っている。かく雑然と書いていると長くなるので擱筆《かくひつ》する。

   画室の閑談

     A

 京都、島原《しまばら》に花魁《おいらん》がようやく余命を保っている。やがて島原が取払われたら花魁はミュゼーのガラス箱へ収められてしまわなければならぬ。しかし、花魁は
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