目下の、日本の新聞紙の紙質では、どうも網目版がうまく鮮明に現れにくい。絵を線描のみでなく淡墨《うすずみ》を以て調子づけたりする事も結構だが、どうも鮮明を欠く嫌いがある。最も朝刊の小説の方では挿絵の画面が三段位いを占領しているから相当がまん出来るが、夕刊の二段ではどうも網目版は見劣りがするし、上方の写真ニュースや広告と混同してしまって引立たない。
それで、私は主として線のみを用いて凸版を利用し黒と白と線の効果を考えている。
挿絵としては、詳細な写実を私はあまり好まないが、それは写実がいけないのでなく、下手な写実から起る処の不愉快な実感の現れを私は嫌がるのである。本当の意味の写実は最も必要で、その写実が含まれていない限り、人の想像を豊《ゆたか》にする事は出来ない。大体、従来の日本画風の挿絵家等の作品は共通して実感はあっても写実が足りないので何か頗《すこぶ》る薄弱な存在となってしまっているのを見る。その時に際し石井|鶴三《つるぞう》氏のものが大変よく見えたのは、彫刻家であるだけ、デッサンの正確さによって立体感までが現れてよき意味の写実によって絵が生きた事などが原因しているといっていいと私
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