挿絵は小説の美しき伴奏であればいいと思う。なお新聞の紙面が、それあるがためにより美しく見え、小説が賑《にぎや》かに見え、小説のある事件が画家の説明によって読者の心を縛らないようにしたいと思っている。
私の貧しい経験では、時代ものは相当の参考資料さえ整頓《せいとん》すれば絵を作る事は比較的容易であると思うが、現代ものになるとモチーフの万事が実在の誰れでもが知っている処のものであるから相当の写生が必要であり、同時に写生そのものは挿絵ではないので、それを絵に直す処に画家の興味があり、実在が挿絵と変じて現れるまでの段階と手数に、かなりの興味が持てるのである。
そしてその画稿が紙面に現われた時の感じというものは、また別の趣きを現すものである。下絵の時に気附かなかった欠点が紙面に現れてから目立つ時もある。ちょっとした不満な点を見出《みいだ》すときその日一日私は不愉快である。
しかしながら挿絵は普通の油絵の如く、一人一枚の所有でなく、一枚が何万枚となり各人が悉《ことごと》く所有し得る事なども、挿絵の明るき近代的な面白さである。
挿絵は、新聞の紙質や製版の種類についても考える必要があると思う。
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