から現在の谷崎潤一郎《たにざきじゅんいちろう》氏の「蓼《たで》喰《く》う虫」だが、これは谷崎氏が私の家から近いのと、背景が主として阪神地方に限られている点から私は引受けても大丈夫だと考えた。
 挿絵を試みようかという心になった因縁が宇野氏にありながら、そして最近再び話が宇野氏との間に持ち上ったのだが、それだのに氏のものをまだ描く機会がないのも妙な因縁である。
 私自身が小説を読む場合、勿論私は絵かきの事だから私の心に絵かきとしての想像が浮び過ぎるためかも知れないが、どうも挿絵があまり詳細に事件や主人公や風景を説明し過ぎて実感が現れ過ぎていると、私はかえって私の心に現れて来るものを大変邪魔される事が多いので、かえってむしろ挿絵がなければいいと思う事さえある。小説は三面記事ではないのだから、事件や人物をさように詳《つまびら》かに説明する事はいらない事だと思う。それで私は小説によって私自身の心に起った想像の中から絵になる要素をなるべく引出して正直に絵の形に直して皆さんへ伝える事に努力したいと思う。そして挿絵は挿絵として味《あじわ》い、小説は小説として味い得るようにしたいと考えている。要するに
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