向きの汽車を撰択すべきものである。
何んといっても相当の人としての心定まった上自分自身方向を定める資格が出来た上、自分の心の方向に従い足を進める必要がある。
ところで足を進める事はどんな方法によって進めるのかというと、先ず昔は、心の用意も人間としてまだ出来ていなくとも、十二、三歳の神様時代から丁度琴や三味線のお稽古《けいこ》と同じように、ある先生につかしめたものだ。先生は画法という定った一巻を頭へしまい込んでいる。それを一つ一つ授けて行くのだ。何はともあれ無意識にそれを稽古してさえ行けば、いつかは何んとかなる事だろうという迷信によって進んで行くのだが、しかしながら、昔の先生でも何んとなく心定まらない子供のうちは技法を授ける事は無益で便りないと感じたものと見え、西洋にあっては弟子《でし》たちは先ず年期奉公というものをやらされ、その間においては一向に絵らしいものを描かしてもらう事は出来ない。ただ絵具を油で練って見たりその他雑役をするだけの事であったらしい。
日本でも同じ事で年若くして弟子入りすると先ず拭《ふ》き掃除《そうじ》をやらされる位いの事である。
先生の絵具を溶かせてもらうま
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