運動が円滑を欠いても絵を描くに不自由は更にないのである。多少円滑を欠く位いの方が、絵の表情はがっしりとして、かえっていいかも知れない位いのものである。三年や四年間絵を休んでも別に絵は拙くなるものでは更にない。
 大切な事は心の問題である。先ず心が定まって後、普通の人間の知るべき事は知って後、如何にも絵が描きたくてたまらなければゆるゆると始めて、決して遅いものではないと思う。私の方へ時々、母親が子供をつれて相談に来る事がある。中学を嫌がって絵ばかり描きたがるので勿論成績もよくなく身体も弱いから一層の事画家としてしまいたいというのである。私はそんな場合、なるべくならその事はいけないと止めるのである。せめて中学校だけは卒業させるように勧めて置くのである。絵の技法を本当に学ぶには早過ぎて困るのである。
 もし、この時期にわけのわからない技法が沁《し》み込んだとしたら第二の天性ともなる事がある。うっかりと乗り込んだ乗り物である。西向きか東向きか知らずに乗込んだ汽車である。気がついた時、汽車は地獄へ向って走っている。
 技法は心を第一としなければならぬ。心定って後の乗物である。神戸へ行くには必ず西
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