る。
 ところで、さように早速、大人の事が出来るものでない、自分の拙《ま》ずさがはっきりと判《わか》る、それで絵をかく事も詩を作る事も嫌になる子供が、先ずこの時期において大部分を占めてしまう。
 この際になおあくまで絵を描きたがる子供は極めて尠《すくな》いものである。
 それから中学女学校程度に至ると最早や神様の影は全く消えて充分な人間となる。この時代によい絵を描ける者は全くないといっていい。もし描いたとすれば大人の技法を目がけて心にもない事を描き出すものである。もし上手に描いたとしたら、それは拙いよりもなおなお厭味《いやみ》である。文章にしてもこの時代においてかなり嫌味である。
 私の考えるのにこの年輩の人は絵の好きである事と素人《しろうと》としてなぐさみに描く事はいいけれども決して専門に勉強してはいけないと思う。それよりも大切な事は人間として常識である学業の勉強がよいと思う。
 学業の勉強は決して面白いものではないがしかしこの時代は芸術、殊に絵の勉強には年齢が早過ぎるのである。
 絵の技法はピアノ、琴、三味線の如く幼少の頃から手や指を訓練させる必要のない技術なのである。
 手や指の
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