分うるさい事だろう。しかも豆腐を買う事を忘れて帰ったら阿呆な話である。
こんな阿呆な話も不思議なようだがこの芸術の世界において一番多く見受ける話である。
要するに技法は人間の智恵であり普通教育であり礼儀作法であり常識である。従ってこの事ばかり気にするものは小癪《こしゃく》に障《さわ》っていけない。といって智恵なき者は阿呆に過ぎない。
大体、人間は何んといっても幼稚園を過ぎる頃から少しずつ智恵がついて来るはずのものだ。しかし、まだ何んといっても七、八歳から十歳までは母の胎内にありし日の面影を失わない。何んといっても半神半人の域にある。この域にあるものは絵を描く、童謡をつくる、歌う、それが皆なまでで、上手で、神品である。悉《ことごと》くが詩人で芸術家でもある。
ところで彼らが十二、三歳ともなると妙に絵も歌も拙《まず》くなってくる。彼らの心から神様が姿を消して行くのだ。従って全くの人間と化けてしまう。この時に当ってお前は人間の浅間《あさま》しさを知らないか、いつまでも無邪気でいてくれと頼んだって駄目だ。子供は大人のする事をしたがる。大人のような絵を要求する本当の技法を要求するようにな
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