ともいえるが、もし自分の子供が二十歳に及んでなお寝小便をたれるという事があったら悲しむべき状態である。
自転車でさえ二、三日の練習なしでは乗る事が出来ない、まして飛行機においてまたその曲乗りや高等飛行においてはかなりの正確な技術、技法の習練が必要であろうと考える。
幸いにして画道においては正確な技法がなくとも早速生命に関する大事とはならないから安全であるが、しかし結果はそれ以上の悲劇となる事が多いと思う。
ところで技法の習得、練磨、研究も必要な事は正に人の智恵と同じく画家として必要ではあるけれども、あらゆる技法は芸術の終点でも目的でもない事である。
人が歩む事は何か目的があってそれへ到着しようとするために歩むので、これは不知不知《しらずしらず》の間に運動をしている訳だ。それで先ず用は足す事が出来るが、もし何々派、何々流の歩調にのみあまりに拘泥《こうでい》し過ぎると、その事ばかりに気を取られてとうとう徒《いたず》らに低廻するばかりとなる。
練習ばかりで飛ばぬ飛行機は退屈だ。飛ばぬが故に安全第一ではあるけれども。
ちょっと、豆腐を買いに行くにもワルツで行く女中があったとしたら随
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