を単純にし、然《しか》る後に人間の心を複雑な儀礼の底から救い出す事に成功したと言っていいだろう。
野蛮に帰り、初期に帰ろうとする心の動きにおいて、子供の絵や野蛮人の作品が近代画家を悦《よろこ》ばしめたのであった。
それから簡略を生命とする処の東洋画、あるいは一条の線の流れが世相の百態を表す処の錦絵がフランスにおいて近代絵画の大革命を起さしめる大なる原因の一つとなった、という事は当然であろう。
その他南洋土人の原始的作品や名もない処の画家の稚拙が賞玩《しょうがん》され、素人画が賞味され、技法の上に取り入れられたりした事も当然の事であろう。
いろいろの事によって近代の新らしい絵画の技法は、自由にされ、明るくなり、簡単にされ、省略されてしまったものである。
しかしながらそれらは、何世紀の歴史と生活の背景とを持つ処の西洋における出来事であった。我が日本は決してさような油絵具を持ってなされた壮大なる芸術を作った覚えもなければ、その進歩と、老舗《しにせ》と、その衰弱の悩みも経験した事は更にないのである。その技法の下敷となって苦しんだ覚えもないのである。それは単に西洋人だけの苦悶《くもん》
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