一様な域に到《いた》るものかも知れないが、芸術の材料とその技法の差によって、その芸術が発散する処の表情には歴然とした差別があるものである。一つの技法がその技法の限界を超《こ》えると、その技法はかえってよくならずに死滅してしまうものである。油絵には油絵だけが持つ生命があり表情がありその能力にも限界が備《そなわ》っている。油絵が万能|七《しち》りんの代用はしないはずだ。
一つの技術が世界|悉《ことごと》くの芸術の様式と内容の総《すべ》てを含んでしまうという技法は今までにまだ発見されていないようだ。
活動写真という進歩した便利至極の芸術でさえ活動写真だけが持つ味以上のものは出そうでない。三味線には三味線という材料に相当するだけの技法と世界が存在する。シネマにおけるダグラスの活躍に三味線の伴奏があったら多少変だろうしあまりに愉快は得られないであろう。
いつか、セロの如き三味線を考案した才人もあったようだが、どうもまだ新芸術の材料として一般に使用されているようにも聞かない。
西洋技法の表面を借用して六曲|屏風《びょうぶ》に用い、座敷を下手なパノラマ館としてしまった実例はかなり混乱の現代日
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