人が定まらない限りややもすると、画家は天国へ志を預けてしまうことさえある。ある時代には画家はことごとく達磨と鶴と、仙人と竹石にのみ安定を発見した時もある。と同時にある時代では極端に生活を芸術の対象とした時代もある。かの浮世絵全盛期ではほとんど仙人も達磨も天からのそのそ降りて来て、ひどい達磨などは美人の裾に感じて立ち上がって踊り出したりしている。まずこれなどは生活の安定を少し通り過ぎた時代だったに違いない。
さてこの現代の不安不統一をきわめた風俗人情を持てるわが極楽世界では、画家はどれだけ現代生活を芸術へ織り込んでいるかと思ってみるに、どうもむしろ反対にある時代に画家達が現世を逃避して鶴や、仙人、道釈人物、竹石、支那楼閣山水のみ描いて心を慰めたと同じように現代画家は生活から遠ざかって静物、裸体、地球のしわとしての山水、風景を描いているようだ。大体静物はいつの時代でも桃は桃であり、花は花である。風俗習慣を除去した裸像は常に永久にただの人間の肉体そのものであり、風景は地球の凸凹であるわけだから、そこに人工的な不統一や混乱がないので、ちょうど鶴や雲や竹石を描くのと同じ都合である。
さて私は
前へ
次へ
全162ページ中153ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング