で消して見ても、何時仕上がるか見当がつかないかも知れない。
とにかく家庭、建築、人情、風俗、生活の形式、儀礼等がある年代を経て工夫統一され、よろしき調和を現して滑らかに進行している時代ではその生活、風俗、浮世の雑景はそのままにどの一角を切り取っても画面に絵としてのよろしき構図を形造るものであり、それがためについその風俗、生活の有様が画家の絵を作る本能を都合よく刺戟する。
由来、画家というものははなはだ本能的な存在であって、描くに足るだけの対象物に出会うとどうあっても描いてみたいので、そこに理由や理屈を見出しているのんきな寸暇が見出せないのである。それは恋愛としかしてそれに続く性慾の性急にも似ているといっていい。そこに何か不都合な障害があってそれを描くことが差し止められると神経衰弱的傾向を現し自狂的となりやすい。
だから安定にして統一ある生活の美しさがあれば、画家は直ちにその生活を描くにきまっていると思う。近頃の戦争文学にしてもがそうである。世界大戦の休止して約十年の後人間はやっと戦争を芸術として味わうだけの安定を得たのである。日本では関東大地震の名画はまだ現れない。
生活の天地
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