おれ》の一生よりも少し高い、これは絵描き何人分の生活だ、という浅間《あさま》しき事を考えて見たりする。たまたまわれわれの一生よりも安価な品物や、天王寺屋兵助を見るに及んで何となき愛情を私は感じる。
 もしも、人間としての体格が立派で、生活力が猛烈で、人間の味《あじわ》い得るあらゆる幸福は味って置きたいという、そして大和魂《やまとだましい》というものを認め得ない処の近代的にして聡明《そうめい》な絵描きがあったとしたら、絵画の道位その人にとって古ぼけた邪道はないかも知れない。

     C

 私は最近、二科の会場でパリ以来|久方《ひさかた》ぶりの東郷青児《とうごうせいじ》君に出会った、私は東郷君の芸術とその風貌《ふうぼう》姿態とがすこぶるよく密着している事を思う。なお特に私は彼自身の風貌に特異な興味を感じている。そしてそれは、最も近代的にして、色の黒い、そして何処《どこ》かに悪の分子を備えている処の色男である事だ。私はあれだけの体躯《たいく》と風貌と悪とハイカラさと、芸術とを持ち合せながら本人の出演を少しも要求しない処の絵画芸術に滞在している事を甚だ惜んで見た。甚だ御世話な事ではあるが
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