レストウランと定食代位のものかと考える。職業柄の材料費というものは案外素人の考えるほどにはかからぬものである。
またさように資本をこの方面につぎ込んで見た処で、その多量な生産を誰れが待っているという訳のものでは更にない。徒《いたず》らに押入れの狭さを感じるわけである。
先ず一年のうちに四、五枚の点数がそろえば秋の二科へ出すだけの事である。そして仲間うちの者たちのために、いいとか悪いとか、いわれてしまえば用は足る都合になっている。ほめられたからといって、どう生活がよくなる訳でもなく、悪口されたといって失職するものでもない。
やがて秋の季節が終りを告げる時、額縁代と運送費を支払えば一年の行事は終る。先ずこれ位の事が辛うじて順調に繰返し得るものは幸福だという事になっている。
宗右衛門町のあるお茶屋では、一ケ月千円以上の支払あるお客への勘定書《かんじょうがき》には旦那《だんな》の頭へ御の一字をつけ足して何某御旦那様と書く事になっている。その御旦那様の遊興費にくらべても画家の生涯はばかばかしくも安値である。
一台の機関車、一台の電車、一台のバスキャデラク、飛行機を見てさえも、これは俺《
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