レス着用の草履をはいた奥様と女中の点景と、仁丹と福助足袋の広告は、画面構成上少々勝手が違い過ぎはしないか。ここに一年や二年は如何にあのアッパッパと仁丹を表現すべきかについて考えた結果、落胆と、失望と、不勉強と、生活難はどしどしと攻めよせてくる。
 といった悩みはざらにある。すなわち東洋回顧を始めて立体と調子と厳格なる写形的技術をもって障子と襖とかたびらの爺さんを描いてみると、釣り鐘で提燈の風情を現す位の牛刀の味を示す。
 すなわち日本画家が現代生活相を怖れる如く西洋画家も現代生活の諸相を避けて、彼らは永久に地球のしわであるところの山水を描き、永久に人間であるところの裸体の安定を描き、常に新鮮なる食慾を放散するところの菜果を描いて画面に統一をつけているように思える。だから展覧会ではどうも現代肖像画のいい作品が少なく風俗画が絶無でありがちである。
 しかしながら油絵は写実を基礎とするが故に、如何に回避しても現代的風景は人物に静物に、風景に必ず織り込まれて来ることは避け難い。東洋画の如くうるさいところは空白として金箔で埋め、動物園の鶴を雲上に飛ばすだけの自由が技法的にも許されてはいないのである。その背景である現代世相を如何に処理するかの見当が合理的に発見された時に、初めて油絵の技術は日本的に成長して行くのではないかとさえ私は思っている。
 もしもマチスとピカソを招待して一カ月ばかり牛込あたりの下宿屋へ美校学生とともに下宿させたとしたら、彼らはあの世界有数の技術と立体感を如何に発揚するか見ものだろうと思う。煙草盆と机と、茶色の壁紙と雨漏り地図と、桃三個並べて、日本における画家の生活をしみじみ考えるであろうかどうか。私はピカソでないので一向見当がつかないが、一度招待して描かせてみたい。案外日本の画家の方が下宿で制作するコツをよく知っていてうまいかも知れない。
 近頃面白いことには絵画材料店に静物用の壷とバック用のインド更紗の安いイミタシオンと、果実を並べる台等を売っていることである。かくしてまでも西洋館の背景を造る必要もなさそうだが、下宿屋の二階ではまったくその人体と静物の背景には困るだろうと思う。これは同情すべきである。今に裸女用マチス型ソファー、バッグ、シーツ、枕、一組何円のセットが現れ帝展風、二科御用静物セット、裸女兼用といったものが安価で売り出されるかも知れない。
 
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