ってもいいでしょう。
けれどもそれもただ何かの余興とかあるいは酔興でやるのはいいが、本心でやっているのを見ると少し嫌味でたまらないという気がするものです。
それも思い切って、大人が小児を見てこれは天真であると感じて早速一夜、寝小便という仕事をやったとすると、どうもあまりに天真であり過ぎて随分迷惑を感じずにはいられません。寝小便が仕事として成り立つかどうか知りませんが、あれも人間の仕事とすれば仕事となるかも知れません。
仕事といっても世界には無数にあって、われわれにはとうてい考えも及ばぬほどあるでしょうが、芸術などいうものもやはり仕事の一つでしょう。芸術などといっても非常に範囲の広いものですが、まず芸術という種類からすべて芸事というもの、それから随分高いと称する、まず何といっていいか、理想の高いちょっと常人の近寄れないという高遠な芸術というところまであるようです。それを詳しく調べると、美学者という専門にそのことばかり考えたり調査している役人もあるので、その人達に聞けば国勢調査の如く判明するでしょうが、ともかくいろいろあるようです。
その種類や高下はともかくとして一般に芸と名の付くものでは第一にやはり天才というて、生まれつきその仕事に適した才能をもったものは一層結構ですが、その上に練習というものが非常に必要であるようです。練習とは手先きだけのものではなく、やはり芸に対する良心が常に働いて、ああもいけない、こうでもならない、と心をくるしめていろいろと考えるのであります。
それで昔からいろいろの職人でも、あるいは役者でも、落語家でも、相当の年をとって来て初めて自分でも少しはいいかなと思う点まで自分の仕事を引き摺って来るようです。
落語を聞きに行っても二十何歳という若手が何か無理矢理に落ち着いた顔をして、人情噺などやり出すと初めから終わりまでぞくぞくと寒さを覚えて来て大変気分が悪くなります。それがまた立って舞いかけたりなどして、男のくせに赤い長襦袢などちょいちょい見せて、目玉をちょっと横へ押しやったりするともう何にか悪霊につかれた心地さえ致します。
かなり才能は貧しくともまず五十歳以上のものが高座へ坐ると、先ずこれは信用していいだろうという、ともかく芸に対する安心がまず第一に得られます。
文楽座などをちょっと覗いてみてもやはりこの感じがはっきりとします。人形使いなどもあのグロテスクな、近所の若いものとか、腰元の奇妙な人形などは、練習の最中の人達が使うのでしょう。主人公になる人形は、相当の人達が使っているので安心して見ていられるのであります。安心が出来るというのは結構なことであると思います。
何事でも練習の必要な芸事ではすべてある老境に入らなくてはその芸には安心がならない、日本画などいうものでも、現在は気質が日本画家なども西洋画家に類して来、また類しようとつとめている傾向もあるので多少勝手が違いますが、昔の日本画家は若いものよりも老境を尊びました。
それで中には年三十歳で以て何翁と名乗った阿呆もありますが、しかしながら心掛けははなはだ結構であります。
すべて芸事は充分の練磨と、習得、考えとが必要なようです。
角力とか、野球とか、ボートレースとか、喧嘩とか、女郎買いとかいうものの老境はあまり感服しません。老いてますます盛大な人もありますが、これはやはり嫌味を伴いやすい。
ところで近頃の世の中、ことに日本などはとてもややこしい文明であって、無理矢理に泥道を走る乗合自動車の如く、何かの場所へまで走る必要が起こっているので、安心の出来る芸術などゆっくり味わっていることは出来ないので、他の芸事はどうか知りませんが芸術というものの中でも、西洋画と称するものおよび日本画でも多少時代の影響を受けている新時代の日本画などは、昔の芸事というのんきな場所には落ち着いてはいません。
それで今は芸術が角力、野球、ボートレースおよび喧嘩の域に到達した時代であります。
それで油絵の老境に入ったという人というのは、皆破れたタイヤーの如く憐れに萎びてしまっているようであります。
先代から現代へ持ち越しているいろいろの芸事は充分に仕上がったのを楽しむのであって、ただその練習が必要であるばかりでしょうが、今は何か仕上げなくてはならないという芸術家にとっては楽ではない、ともかく勇壮な時代なのでしょう。ともかく当分芸を楽しむなどいうのどかな事は許されないでしょう。したがって老年には適しない仕事であります。しかしながらある年数を経ていつかは安心の出来る老境に入った人達の仕事として楽しまれたり、また実際に老境が立派なものを作ったりする時代も来ることであろうとも考えます。あるいは地球のつぶれてしまう時までそんな安心は再び来ないかも知れませんが、それはどうなるか私はよく知らないのであります。
ガラス絵の話
一
油絵はトワアルへあるいは板へ、水彩は紙へ描くものであります、ところでガラス絵はガラスへ描くものであります。しかしながら、ガラスの上へただ描くだけならば、板の上や紙の上へ描くのと別段変りのある訳ではありませんが、ガラス絵の特色は、ガラスの上へ描くのではあるがその絵の効果、即ち答は、ガラスの裏面へ現われて行くのであります。即ち裏から描いて表へ現わすという技法であります。それは丁度|吃又《どもまた》の芝居の如きものでしょう。あの又平《またへい》が、一生懸命になって手水鉢《ちょうずばち》へ裃《かみしも》をつけた自画像を描きます。あの手水鉢はガラスではありませんが、又平の誠が通じて石の裏から表へ、自画像が抜け出すのであります。
ガラス絵は、あの調子で行くものであって、即ち手水鉢の代りに、ガラスを使用するものだと思えばよいのです、そんな、ヤヤコシイ技術即ち工芸的な手法であるがために、画家でこれを試みるものがなかったのであります。早くいえば職人の仕事であります、従って製作品には工芸品として作られたものが多いのです、支那《シナ》のものでも、例えば厨子《ずし》の扉へあるいは飾箱の蓋《ふた》へ嵌込《はめこ》まれたりあるいは鏡の裏へあるいは胸飾りとして、あるいは各種の器具へ嵌込まれたものが多いのであります、その絵としての価値も、丁度|大津絵《おおつえ》とか泥絵《どろえ》とかいうものの如く、即ちゲテモノ[#「ゲテモノ」に傍点]としての面白味であって、偶然、非常に面白いものがあり、また非常に下等なものがあるのです、従ってガラス絵はすべて面白いとはいえません。
その作品をいい画家や、工芸家がやらなかったためか、随分世界的に行渡った技術であるにかかわらず、あまり重要に考えられず、有名な作者もわからず、次第に衰退してしまったようであります、それですから、どの国でいつ頃《ごろ》始まって、どう流れたものか、どう世界へ拡《ひろ》がったか、誰《だ》れが発明したものか一切不明であります、勿論《もちろん》私は歴史的な事を調べる事がうるさい性質ですからなお更《さ》らわかりません。その沿革起源等についての詳細を私も知りたいのですがこれは適当な人の研究があれば結構だと思います、あるいは近頃よほどガラス絵を鑑賞する事も一般に行われて来たようでありますから、も早やかなり調べている人もあるかも知れません。
ともかく、私がガラス絵に興味を持ち出したのは随分古く、もう十四、五年も以前の事であります、偶然大阪の平野《ひらの》町の夜店の古道具屋で、初めてガラス絵というものを買って見たのでした、それまでは散髪屋とか風呂《ふろ》屋ではよく見かけたものですが、別段欲しいとは思わなかったが、変な興味はもっていたのでした、どうも普通の絵とは違った下品ではあるが何か吸込まれるような色調が妙に私の気にかかってならないのでした、それは高等な音楽、何々シンフォニーではなく、夜店の闇《やみ》に響く艶歌師《えんかし》のヴァイオリンといった種類のもので、下等ではあるが、妙に心に沁《し》み込む処のものでした。
勿論安い事は驚くべきものでした、家へ持って帰って眺《なが》めて見るになかなか味があるのです、その絵は人形を抱いた娘の肖像で、錦絵《にしきえ》としてはかなり末期の画風のものでありましたが、非常に簡単な手法が一種の強さを持っているのでした。これが病みつきで私はどうもガラス絵が気にかかり出しました、そのうち色々の風景画や、人物画なども集めて見たりしましたが、何んといっても職人の仕事でありますから、本当に鑑賞の出来るという出来|栄《ば》えのものは頗《すこぶ》る尠《すくな》いのであります、その中《うち》日本出来のものよりも支那出来の古いものに頗るいいのがある事も知り、西洋からの渡来品というのも見たりするうちに日本出来である処の散髪屋向きのもののつまらなさがわかるようになって来ました。
二 ガラス絵の種類
日本へ入ったガラス絵の法は、阿蘭陀《オランダ》からか支那からかあるいは両方から入ったものか、私には今よくわかりませんが、何しろ輸入されてから、例えば当時の銅版や、油絵の如く、江漢《こうかん》とか、源内《げんない》とか、いううまい人たちがこの法を生かしてくれていたら日本のガラス絵もも少し何んとかなって、美しいものが残されていたにちがいありません。
全くいい技術家がこれを試みなかった事は惜しい事でした、しかしながら、日本でも職人の仕事としては非常な勢で作られたらしいのです、それは今の名勝《めいしょう》絵葉書の如く、シネマ俳優の肖像の如く盛《さかん》に作られ、そして、それは逆に外国に輸出されたり、あるいは散髪屋風呂屋の懸額《かけがく》として愛用されたり、品の悪い柱がけとして用いられたり、商家の絵看板に応用されたりなどしたのです、だから今でもこの種類のものを探せばいくらでも出て来ます、決して画品のいいものではありません、芸術としては価値|甚《はなは》だ低いものですが、粗製濫造から来る偶然の省略法や単化と、ガラスの味とが入交《いりまじ》ってまた捨《すて》がたい味を作っているものがあるのです。
先《ま》ず日本製のもので一番多いのは、風呂屋向きのザンギリ[#「ザンギリ」に傍点]のイナセ[#「イナセ」に傍点]な男女が豆絞りの手拭《てぬぐ》いなど肩にかけた肖像画や諸国名勝などであります、あるいは長崎あたりへ来た黒船の図なども多いのです。
名勝風景などは、その絵の中の岩とか石畳《いしだた》みとかの部分へガラスの裏面から青貝が貼《は》りつけてあります、凝り過ぎたものであります、あるいは風景中の点景人物などは当時の芸者の写真をば切り抜いて、それに彩色を施して、そのまま貼りつけてあるのがあります、表現法としては真《まこ》とに思い切った不精《ぶしょう》なやり方で、近頃の二科あたりの連中の仕事にも似て面白いと思います。
も一つ表現方法として珍らしいのは、ある種類の風景画はガラスを幾枚も重ねて、一枚の絵を作っているのもあります、即ち近くにある物体、例えば岩や松は看者《みるもの》に一番近い手前のガラスへ描かれ、中景に当る茶店とか人家、中景の雑木《ぞうき》などは、中間のガラスへ、遠景の空と山と滝といったものは一番奥のガラスへ描いてあります、なるほど、重ねて眺めると、物体は本当に浮き出して見えるわけであります、これなどはガラスの透明を応用して実感を現わす思いつきとしては、頗る愛嬌《あいきょう》のあるものだと思いますが、決して品のいいものではありません。
先ず日本出来のものでは私の考えでは、風景よりも末流の浮世絵風に描かれた女の風俗、肖像といったものに面白いものが多いと思います、これ等も都会ではだんだんなくなりつつありますが、田舎《いなか》へ行けばうるさいほど現在でも残っている処のものであります。
支那のガラス絵では、私の今まで見たものには二種類あるようです、一つは純粋の支那らしいもので他の一つは西洋模倣のものであります。
純粋の支那らしいものといえばその題材なども主として、道釈《どうしゃく》人物、花鳥
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