り、相談相手ともなりはしないだろうかと思う。
よき構図は左様に人間の五体の釣合の如く、樹木の枝の如く、音律のよき調和の如く、美しい縞柄の如く、画面の上に頗るよろしく保たれた処の明暗と物と物、色と色と、形と形と線と線との最も都合よきリズム大調和であらねばならない。
従って右方ばかりへの主要なものが集り過ぎたり、下へものが下り過ぎ[#「過ぎ」は底本では「過き」]たり、右と左に同じものがあって、それを連絡すべき何物もなかったり、上方が重過ぎたり、画面の真中へすべてのものが集り過ぎたり、一方ばかり明る過ぎたり竪にものが並び過ぎたり、又風景としては空が一つも見えなかったりする事はいけない。
又半分からちぎれた様な図柄なども不安である、例えば活動写真の場合でもどうかすると写真がガタリと半面下へ落ちて了ってつぎ目が幕面へ現れる事がある、そんな場合、チャップリンの顔が下に現われ、上方から足と靴とが下っていると云う構図である。吾々は早く直してもらい度いと思う、吾々は不安でたまらない。
こんな構図を、初めて絵をかく人は屡々作る事がある、まさか足を上へ描く事はないが人物を妙に半端な処から半分画面へはみ出した様にかく事がよくあるものである。
× × × ×
静物の構図も風景と大差はない、其原理は一つであるが、静物は自然とは違って、其構図はよほど人工的に工夫の出来るものである、即ち静物は器物、花、果物、椅子、テーブルと云った処の財産で云えば動産であるから、如何様にも動かす事が出来るのだ。処でこれはあまりに人間の自由になり過ぎる為めに反って災を招き、いつも一定して、変化あるよき構図が得られない事になったり嫌味なわざとらしい構図が出来上るものであるから注意せねばならない、吾々はなるべく静物写生の為めにわざわざと机を飾って見たりちゃぶ台の上へギタアをのせて見たりする事はどうかと思う。それよりも私は自然にとりちらかされた室内の情景に偶然よき構図やモチーフを発見する方がよいと思う。構図の為に構図を作る事はどうかすると厭味を起さしめる。
静物以外、大きな壁画であるとか或は何百号への大作などする場合、単に自然の一角を切取って篏め込むだけではどうも絵は纏まらない。
そこで何人かの群像や風景、及草木、花鳥、の類をば如何に組合せ、如何に配置するかが大作としては重大な仕事となる。本当に構図其物が第一条件ともなってくるのである。処が現在の日本では左様に大きな建築との交渉が起る事が稀である為めに本当に構図其物を研究する事を画家が大変怠っている様である、従っていざ壁画と云う事になっては大にまごつくのである、拙い訳である。西洋では随分、日常、コムポジションをいろいろと勉強している様である。日本もどうせ油絵があらゆる建築との交渉を持ってくるのが本当であるとすれば画家はもっと構図を研究する必要があると思うが然し乍ら此事は初学者にとってはあまり関係のない事であるけれども。
酒と僧帽弁
私の心臓の弁膜には穴が一つ開いている。その穴から折角押し出したところの血液が多少もとへ逆流するらしいのだ。医者の方では、これを僧帽弁閉鎖不全というそうである。簡単にいうと出来損ねた心臓である。出来損じたものには幸いなことにも代償作用というものが営まれて、まずほそぼそとさえ生きていれば日常生活だけは何とかやって行けるものであるらしい。貧乏人のためには質屋が開店するようなものだろう。したがって私は毎日僧帽弁ばかり気にして暮してはいない。
ところがもし一朝事ある時において、私の心臓は困るのである。例えば近くの火事の如き、あるいは、かの大地震の如き場合、あるいは喧嘩口論、電車の飛び乗り戦争、熱病などがいけない。今や発車せんとする汽車を見ながらプラットフォームを急ぐ時の私の心は情けない。途中にブリッジでもあれば、乗れる汽車でも乗れなくなることがある。
私が有楽町の細い横丁の二階を借りていた頃、四、五軒さきの家から火が出たことがあった。その時、私はあらゆる人が狂気の如く走っている中を、私は猛烈な火の手を眺めながらブラブラと散歩の如く逃げ出したことを覚えている。皆が走っている時に、自分だけが歩いていると前から押され、後から突かれて、大変私が往来の邪魔になりつつあることを感じた。といってこんな場合、たんに驚いているだけでも私の心臓は充分であるのに、それ以上走るなどいうことはとうてい私の世帯が許さない芸当であった。
例の大地震の時なども、ちょうど私の泊っていた宿が白木屋の横丁であったから、もし宿にいて、地震の時刻が夜中ででもあったとしたら、随分私は辛い目に遇ったことかも知れない。ことによっては震火の中をうろうろと散歩しながら煙と化したかも知れない。
幸いにもあの日は二科の招待日であったから、上野公園というまず理想的な避難所に初めからいたために、私はただ驚いていさえすればそれでよかった。少しも走る必要がなかったのは結構だった。私は会場前の椅子へ腰をおろして、私のトランクが宿の六畳の間で黒煙に包まれているのを私の心眼という奴に照して遥かに眺めていたものであった。
そのトランクの中にはまだ作ってから二、三度以上も着たことのない洋服や、私がドイツで買ったところの愛用の写真機もあった。そのレンズが火焔で溶解している有様なども私は考えた。
そして、この大騒動、大混乱に遭遇しながら、少しも走らずにすむという運命は、何と幸せに恵まれた心臓だろうと思った。
ところで、このような異変や騒動がなければ、僧帽弁は常に安泰かというに、なかなかそうは行かない。あらゆる嬉しいことや幸福や遊戯でさえも、多少とも胸の躍るものばかりだといっていいかも知れない。概して幸福は心臓を昂進させる。
例えば、ふと紅の封筒が自分のポケットから飛び出したとしたら、忽ち血行は変調を来たすであろうし、電車の中で美人の視線といささか衝突してさえも、直ちに逆上して脈膊に影響を来たす位のものである。従ってそれ以上の幸福が飛び出したらまったく私の心臓は止まってしまうかも知れない。あまり結構な幸福が私を訪問しないのも、一重に神仏のお慈悲からかも知れないと思う。
心臓を昂進させるものに酒がある。結構なものであるそうだ。私は酒のみが羨ましくて堪らない。私も一度、あんなにうまそうなものをガブガブと飲んで、いい気になって、いいたいことをいって、うれしがって、夢中になって、気に入らない奴と大喧嘩をして、なぐりつけたり、他人に迷惑をかけてみたりしてみたいと思う。
ところが飲めない私にとっては、酒と喧嘩は猫いらずだから情けない。まったく私は一滴の酒も飲めないのだから、一生涯私は正気であるわけだから辛いと思う。
それで私は、時々この世界から酒というものが退散してしまえばいいと思うことがある。この地球の上に、飲める者と飲めない者とが共存している[#「している」は底本では「してしる」]ことは、まことにお互いにうるさくていけない。金持ちと貧乏人が共存しているよりも不都合に思えることさえある。
まずこの世の中の遊興の組織が既に酒を中心として組み立てられているようだ。私はこの組織のために時々大震災や近火ぐらいの苦しみをなめることがしばしばである。
日本には昔から客をお茶屋へ招待するという風習がある。ことにある旦那達は絵描きを芸者とともに並べて遊んでみる風習もあるようだ。私達の如く油絵という殺風景な仕事をするものでさえも時には招かれることがある。
ところで酒でも飲めればまず旦那のお相手ともなり、芸者とともに暫時を稼ぐことも出来るわけかも知れないが、不幸にして僧帽弁に穴のあるものにとっては歓楽どころの騒ぎではないのだ。
左様に勤まり難いことが初めから判っているものならば、初めに謝絶すればよいのだが、何かその明るい世界には、何かまた変った幸福らしいものが落ちてでもいそうなさもしい心も出るので、ついうっかりと来てしまうことも多いのだ。
しかしながらまず初めのうちは芸者も、旦那も、Lも、Mも、Nも、OPQも、皆正気だから私の話は向こうへ通じるし、向こうの話も了解出来るのでまずこれなら何とか辛抱も出来るのかと思っていると、やがて、L、M、N、O、P、Q、旦那、芸者は勝手にアルコールの世界へ転居してしまうのだ。
すると正気の間は多少、商売上、丁寧であった芸者の言葉が妙に荒々しくなってくる。なんや、あんたな、鬱陶しい顔せんと、早ようガッとあけなはれという。旦那はんは、こらおやじなどいわれている。
何だかもう、これからさきは叱られに来ているような具合で、正気なるものは忍従か逃げ出すかより他に途はないことになってしまう。ところでここで逃げて帰っても、LMNOPQも、誰も知らない場合が多いのだ。また逃げ出してもいいという約束らしいものもあるようであるし、あるいは逃げ出さぬように警戒して終いまで忍従させようとする暴君もあるようだ。
ともかくもこんな時に往来へ逃げ出して、冷い空気を胸一杯吸うて自由な天地を仰いでみると、ほっとして心の底から幸福が湧き出して来る。私の心臓は安らかな行進曲を奏するのだ。結構な幸福はまったくどこに落ちているやら、さっぱりわからない。明るい世界に変なものがあって、暗い往来で幸福を拾ったわけだ。
そこで私は一人ぶらぶらと、自分の金で紅茶を一杯飲んで、有難い自由な空気を遠慮なく吸いながら帰るのだ。
ところでここで困ることには天狗につままれた如く、今見て来た変に浮き上がった明るい世界と自分が帰って行こうとする自分の世界とが、あまりに調子のとれないことであることだ。ここで折角吸うた冷い空気が心の底で煮えつまるのである。幸福と行進曲が煮えつまるのだ。
もし私の心臓に穴がなくて、酒がうんと飲めるものだったら、私はそんな時、無神経な旦那はんの頭と、LMNと芸者の頭を「ガン」となぐって帰るかも知れない。あるいはすこぶるよろしく調和して、旦那から一人の芸者を拝領に及んで舌を出しながら次の一間へと引き退がることとなるかも知れないと思う。どうも結局飲めない僧帽弁がいつも一番いらない苦労をするようである。
[#地から1字上げ](「不調和」昭和二年二月)
滞欧の思出
心からあなたを愛する
私は元来、しゃべる事が下手《へた》だ、おまけに大阪弁だから、先ず日本語としても殆《ほと》んどなっていないといっていい位いだ。西洋人でも随分|鮮《あざや》かな東京弁を使う人に時々出会う事があるが、全く私は恥かしい。それはもう、なんやこう、けったいな感じがしてどむならんとかいったら、これは正確な日本語を習った毛唐《けとう》には、全く見当がつかないだろう、日本人にも通じ難いかも知れない。
東京にいる間は、それでも多少は東京風にものをいっていたものだが、家へ帰ると大阪市全体、私の家族全体、友人全体が、なんやこう、けったいな言葉を使うものだから、私だけが、そうかね御苦労だったねなどいって見ても、全く、それこそ、なんやこうけったいな調子になって、少しも周囲と同化しないし、第一親しさが表わせない、私だけが何か新派の芝居でもしているように見えて可笑《おか》しくて堪《たま》らない、やはり私は、さよか、おおきにはばかりさんといってしまう。その方が不都合が起らないのだ。
その位い、私は大阪弁なのである。ところが単に親しさを表すだけの時にはいいが、何か演壇へ立つとか、あるいはラジオの放送であるとか、あるいは講演、婚礼や新年の挨拶《あいさつ》、火事見舞、仏事、などにはあまり進んで出られないのである。その上ちょっと気兼ねをすると直ちに言葉がのど[#「のど」に傍点]へつまってしまうくせ[#「くせ」に傍点]があって、あのう[#「あのう」に傍点]とそのう[#「そのう」に傍点]以外一句も出なくなるのである。私はさように大体、言葉には辟易《へきえき》しているのである。
ところで、私が、フランスへ行こうと考えた時、何よりも困った事は言葉の勉強であった。私は中学時代の英語
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