会袋とか何んとかいってこの目的のために作られてあって、多少のお汁|気《け》のあるものでも大丈夫持って帰る事が出来る仕掛になっているそうである。真《まこ》とに重宝《ちょうほう》な袋だ。
しかしながら大阪古来の風習からいえば、この袋の発明はさほど驚くに当らない事で、むしろ多少手遅れかも知れない、私の知っている婆さんなどはこんな便利な袋さえお金を出して買う事は無駄なもったいない事で、どんな料理屋でも折箱《おりばこ》位いはくれるというだろう。しかし洋食屋には折箱の用意はないかも知れないから彼女は鼻紙を沢山持って行くにきまっている。勿論包んで帰った鼻紙は丁寧に乾燥させて相当な場所で再び使用するのである。無駄せぬ会の幹事でもこの人の日常生活の真似《まね》はちょっと出来ないかも知れないと私は常に思っている位だ。
ともかくこの古臭い婆さんは別として、現代の大阪人はもっと文化的だ、だからこんなハイカラなものを買わないはずがない。芸術家でさえ已《すで》に用意しているのだから、大阪の金持ちの懐中にはこの袋が最早行き渡っているのではないかと思われる。
郊外
私は最近生れて初めて、都会から郊外へ引移った。画家というものは、いつも自然を友とするように思われるのが自然だが、町の中で生れて、町の中ばかりにいた私は殆《ほと》んど木の名も草の名も、魚の名も虫の名も知らずにいた。何か総体として樹木というものだけは知っていた、そしてその代表的な松とか梅、桜、位《くら》いは確かに知っていた、魚は鯛《たい》、まぐろを知っている位いであった。
従ってつい風景とか自然に対する親しみが比較的|薄《うす》かった、私はあまり人気《ひとけ》のない山奥などへ出かけると不安で堪《たま》らなくなるのである。
そんな訳から私は今まで地球の上には人間だけが威張っているのだとばかり思い込んでいた、その他の万物はいる事は噂《うわさ》として聞いていただけのものに過ぎなかった。
ところが初めて私は毎日池を覗《のぞ》いて見たり草原を探って見たりして驚いた、先ず例えば一尺平方の地面の上に、これはまた無数の生物がうようよしているのであった。ちょっとした水|溜《たま》りの中に、何か知ら不思議な奴が充満しているといっていい位い右往左往しているのだ、目に見える奴だけがこれだから、もし細菌といった奴なら、それこそ到底地球上の人類ほどもいるかも知れない、それが各《おのおの》猛烈な恋愛をやったり、噛《か》み合ったり殺し合っているのだから怖《おそ》ろしい、その弱肉強食、殺合《ころしあ》いが極く自然に、合理的に行われているのでますます気味の悪さを感じるのである。自然は決してのどかなものではなさそうである。
メレンゲ
暑い夏の日にビールをガブガブ飲む人がうらやましくてたまらない、西洋にいた時、神経衰弱を起してほんとにあじきなく退屈であった時など私の友人は酒ばかり飲んでいた。結構な身の上だ、あれで不平をいってるのはもっ体ない事だと思ったくらいだ、私などは窓を眺め天井を見詰めるより他に方法がなかった、本などはイライラしてとても読めるものではない、この残酷な退屈を紛らすために私は初めて排せつの楽しみを発見した、即ち大小便が出る時、出たあとの快感、鼻汁をかんだ爽快《そうかい》等だ、それからノミや南京《ナンキン》虫にかまれた処をかいて快味を味《あじわ》って、しばらくこの世の苦労を忘れようとしたのであった。
楽しみや嗜好《しこう》もここまで下落しては行つまりで人の前へ持出す事も出来ない。
すると、煙草などは随分体裁がいい、美しくもあるし、全くうまくもあるし、腹はふくれず、かつ談話していても、相手と自分との間に丁度いい淡い煙幕が張られて、真《まこ》とに長閑《のどか》な心地がする。
私は以前煙草だけは愛用していたが、病気してから医者にやめさされた、やめた最初は談話中など相手の顔がはっきり見え過ぎて弱った事を覚えている。
私は最近、神戸のあるドイツ人が経営する、菓子とカフェーぐらいを出す家で実にうまい菓子を発見した、それは、上下二つの軽快にして白いカルメル様《よう》のふたの中に真白のクリームが充満しているのだ、かむとハラハラとふたが砕けて、クリームが舌へ流れ出すのだ、その甘さが堪《たま》らないのだ、そして胃の腑《ふ》へ達する少し手前において煙の如く消滅してしまうような気がするのだ、しかしかなり甘いので二つ以上はたべられない、私の隣へ座った西洋人は五つたべた、うらやましかった。
私はこの頃、しばらく浮世を忘れるためにこの家へまで出かけるのである、そしてこの菓子をたべるのだ。この菓子の名を「メレンゲ」という。
画工
絵|描《か》きというのは職業か何か、私にはまだはっきりと判《わか》らない、それというのが、どうも自分の仕事がほとんど売薬とか雑貨とかいう風に、店を開いて待ったとしても、向うから自発的に買いに来る人が一人もなかったりする事からさように思えるのかも知れない。第一絵描きは職業として一定の名前すら、はっきりしていないように思う、定《きま》った名があるのかも知れないが私はまだ知らない。
区役所の届けとか何かの場合にしばしば、御職業はと聞かれる事がある、私はそんな場合、変な気がして早速返事が口へ出て来ない、どうかすると無職ですと答えたりして後でいやな気になる事がある。
大体我々仲間でならば、絵描きとか、画家とか、ぼんやりした事で通っているようだが、一体本当の職業としての名は何んというのかと思う事がある。
私は一度区役所へ何かの用件で行った時、その帳簿をのぞいて見た事がある、すると、そこには小出楢重《こいでならしげ》画工と記されてあった、すると区役所とか国家としての名称は画工というのが本当かも知れない、しかしそれも現代の日本画西洋画の絵描きは、ことごとく皆区役所へ行けば画工となっているのか、その辺は私によくわからないが、何んとか一定されているに違いないと思う、あまり必要でもない事だから知らずにいてもすむが時々|可笑《おかし》く思う事がある。
私は十幾年以前奈良の浅茅《あさじ》ケ原《はら》で泥棒のために絵具箱とトランクを盗まれた事がある、その泥棒がつかまって、私は警察署へ出頭して絵具箱を頂戴《ちょうだい》して帰った、その時奈良の新聞には古い都だけあって、油絵師何某とかかれてあった。
油絵師などなかなか結構な名称ではあるが近代のお河童《かっぱ》連には少し似合わない気がする。
所得税
絵描きが、まだ職業であるかどうか自分でもはっきりしないうちに、私は所得税を支払うべき身分となってしまった、これは国民として慶賀すべき事で当然の事である、だが、肝腎《かんじん》の所得が怪しいから閉口する、私は、性来の健忘症と不精から、所得の申告というものをうっかり捨てておいたのだ、すると、私の収入をちゃんと見抜いて、それだけの税金が申渡された、しかしそれが、私の所得のまずかなり正確な処を見抜いてあったのには驚かされた、さすが専門家だと思った、私よりも税務署の役人の方が、私の財布をよく知っていそうな気さえした。
するとまた次の年が来た、再び不注意にも私は申告を怠った、今度は私の収入はすこぶる増加していた、全くこれだけの収入が本当に確実にあったらどんなにいいだろうと、私は喜びかつ歎《たん》じた次第だ、可笑《おかし》な事にはかなりの店を持った商人である処の私の友人Hよりも私の方が多額納税者となっていた事だった、もち論Hは税金としての最低額を収めているのである。
鞆の嵐
旅行をして、私はああよかった、はなはだ愉快でしたと思って帰ったことがあまりないのでどうも思い出はよろしくない場合が多い。
それはいつも旅行さきへ自分の仕事を持ち廻る為かも知れない。仕事の為に旅行するという旅商人が旅する如く官吏が出張する如く、あるいはより以上に仕事のことをのみ考えさせられて旅そのものを楽しむという心が仕事の下積みとなってしまうせいかと思う。
まったく、われわれの旅は情なく悩ましい旅である。だから私はカン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]スとか、絵の道具とかいった何ものも持たず、ただふらりふらりと歩くことが一番楽しい気持ちである。ところで悲しいことには、山を見ても、海を見ても、家を見ても、木を見ても、いい日よりであっても、絵描きは絵を思わずにはいられないのだから困ったものだ。
あの景色なら二○号にうまくはまるだろうとか、あの色とあの色の調子は素晴らしいとか、これこそおれのモティフだとか、この景色は誰の絵に似ているとか、こんな美しいものなら絵の道具を持って来ればよかったとか、いろいろ様々のことを考えて、山川草木を無心に楽しむことが出来難いのである。
地図を案じ絵具をそろえ、トランクを担いで、いざ旅行だと思うと、もうはや多少重くなるのを感じる。汽車に乗れば窓からの景色が一つ一つ苦労の種となって現れる。いい構図だと思って見る時、汽車は猛烈に走っていて、たとい止まってくれたとしても泊るに家もない場所である。
ようやく目的の地へ着くと、そこは家の屋根が平たくて、何々廻送店とかいったものが並んでいて、地図で眺めた夢らしいものは影もないのだ。そして宿屋は避暑客で一杯であって、彼らは芸者、情人、若い妻君等とともに寝そべっていたり、ビールを飲んでいたり、海水着をつけてみたり、芸者ははちはち[#「はちはち」に傍点]をしてみたりやっているのだ。
その中へ割り込んでカン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]スの枠を組み立て、金槌でガンガン釘を打ち込むという仕事を行うだけの神経と勇気が出るかどうか。
私が一〇年程以前のある真夏、 鞆の津[#「鞆の津」は底本では「靱の津」]のある旅館へ泊ったことがある。それがちょうど右の状態そのままであった。その上、折悪しくもその日から猛烈な台風が襲来したものだ。瀬戸内海も仙酔島も風と雨と水沫とでめちゃめちゃとなってしまった。
海に面した側の私たちの部屋はことごとく、女中によって雨戸が締められた。
こうなると暗くて、陰鬱で、蒸暑くて、私は一人で、他人は二人以上であるからやりきれない。寂しく羨ましく退屈でしゃくで、イライラする神経と金のない不安やらいろいろから、いかにも我慢がならないので、といってこの暴風雨にどこへ飛び出すわけにも行かなかった。
私は隣の若い夫婦の親愛な言葉や、憎さげに肥えた株屋といった人相の男と芸者達がやる賭博と、下等な笑い声をじっと忍従の心で聞くより他に道はなかった。
私はせめて家の屋根でも見ている方がましではないかと考えたので、女中に頼んで道路に面した側の部屋へ移転させてもらったのだ。ここは幸いにして雨も風も吹き込まず、ともかく町家並が眺め得られるので大いに幸いであった。
ところで私は欄干へもたれて、向かい側に並ぶ家々を見渡して愕いたのだ。その家々というのは皆女郎屋なのである。その上狭い町だからその女郎屋の二階座敷は私の座敷から約一○メートル位以上離れていないのだ。そして何もかもがことごとく見えるのだ。私は暑いのに一晩中欄干へも出られず、ふすまに面して憂鬱であった。その翌日も暴風雨はやまない。蒸暑い一日を繰り返し再びふすまの絵を眺めて一夜を送った。
その翌日、太陽の光を見るや否や、私は停車場へかけつけて、何はともあれ大阪までの切符を買ってしまったのであった。
汽車に乗ってよく考えてみると、天気は素晴らしく美しいのだ。瀬戸内海の波は何ともいえず素晴らしく輝いているのだ。それに私は大阪行きの汽車に乗り込んでいるのだから馬鹿げているではないかと思ったことがある。
夏の水難
女難は、必ずしも艶《つや》っぽいものとは限らないそうだ。電車の中で、ちょっと婆さんに足を踏まれても、女難の一つだという事を聞いた、あるいはそうかも知れないと思う。
私には水難の相があると、昔、或る人相見がいったのを覚えている。水難といっても、必
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