りである。
私が子供の時に考えていた腹の構造とあまり大差はなさそうだ、さように腹の中を簡単に考えているからといって決して軽蔑するわけではない、自分の胃の腑《ふ》を知らないという事は全く大変な幸福な事である。勿論《もちろん》腹を腹とも思わず塵芥溜《ごみため》だと思って食物と名のつくものは手当り次第に口中へ捻《ね》じ込むというのは、あまりに上品とはいえないが私のような胃病患者から見るとなんとそれは幸《さ》ち多過ぎる人であるかと思って羨《うら》やましき次第とも見えるのだ、全く何も食えずにいる時、沢庵《たくあん》と茶漬けの音を聞く事は、実に腹の立つ事である。
常によく病気するものは、自分の身体の構造について随分、日夜神経を尖《とが》らして研究しているものだ、それが胃病患者ならば自分の胃袋はこんな形でこんな色をしていて、こんな有様でとあたかも毎日胃袋や腸を、眺めて暮している如く説明するものがある、しかし可笑《おか》しな話しで、自分の臓腑を生きながら見た人は先ず昔からなかろうと思う。全く自分の持ち物でありながら一生涯お目にかかることの出来ないものは、自分の腹の中の光景であろうと思う。
私は蛙
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