ぬ間にアメリカ人が日本へ集っていたり日本の人だまが皆巴里へ集っていたりなどしても、ちょっと区別がつかないので目に立たず、人種問題も起らないし、早速|生粋《きっすい》のパリジァンにもなれる。欧洲から日本へ、日本から欧洲へと往復するにもただプラプラと青い尻尾さえ引摺《ひきず》れば済《す》むのだから、今の若い日本の画家等にとっては大変な福音《ふくいん》なのだ。
ところが悲しい事に魂は、それぞれいい加減な形体を具えているので悲劇が起るのだ、といって私がこれを如何に改造するという事も出来ないので致し方がない。
話しが大変広くなってしまったが私の美校時代には巴里にいる日本人の心持ちようのものがかなりに働いていたものだった。例えば今大変親しい鍋井《なべい》君や大久保《おおくぼ》作治郎《さくじろう》君なども、十幾年前は学校の食堂などで出会ってもろくに自分は言葉も交えなかった、何んだ大阪の糞《くそ》たれめといった調子でにらんでいたものだった、今聞いて見ると何んでも変な奴だと思っていたそうだが、それがある時偶然話し合って見たら、お互にそれは同じ理想を持っていた事が知れた、やはりこれもなまじっかくだらな
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