。
この多忙な戦争の最中にでもちゃんと坐りこんで、やはり芸術品はアカぬけたものに限ると合点した有望な若い人たちもあるんだが、それが女郎買いを三回分簡約して明日から謡曲の稽古に通ったところで、どうも時代の大勢をいかんともすることが出来ない、これはかえって二重の嫌味が発散したりして、我慢がなおさらならないことになったりするのだ。
とにかくこの始末は何とかつくには違いない。私はやはり何といっても人間は自分に似合う帽子を買ったり、足のいたまない靴を選択したりするように適当なものを探し出すことだと思う。目下靴が自分の足に合っていないことをそろそろ発見しかかっているんだから、たのもしいことになって来てはいる次第だ。そして優秀な芸術はわれわれのような青二才では出来ない芸当だということになって来なくては駄目ではないかと思う。
ルノアールのその晩年の裸女なども東洋的な味からいっても気品の高いものである。鉄斎翁という人もその晩年のものが実に素晴らしいではないか。あの鉄斎翁の最近の肖像というものを見たが、まったく絵かきの「ぬし」といった顔をしている。何でも「ぬし」とならなければ神通力は得られない。狐な
前へ
次へ
全166ページ中76ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング