ものでは第一にやはり天才というて、生まれつきその仕事に適した才能をもったものは一層結構ですが、その上に練習というものが非常に必要であるようです。練習とは手先きだけのものではなく、やはり芸に対する良心が常に働いて、ああもいけない、こうでもならない、と心をくるしめていろいろと考えるのであります。
それで昔からいろいろの職人でも、あるいは役者でも、落語家でも、相当の年をとって来て初めて自分でも少しはいいかなと思う点まで自分の仕事を引き摺って来るようです。
落語を聞きに行っても二十何歳という若手が何か無理矢理に落ち着いた顔をして、人情噺などやり出すと初めから終わりまでぞくぞくと寒さを覚えて来て大変気分が悪くなります。それがまた立って舞いかけたりなどして、男のくせに赤い長襦袢などちょいちょい見せて、目玉をちょっと横へ押しやったりするともう何にか悪霊につかれた心地さえ致します。
かなり才能は貧しくともまず五十歳以上のものが高座へ坐ると、先ずこれは信用していいだろうという、ともかく芸に対する安心がまず第一に得られます。
文楽座などをちょっと覗いてみてもやはりこの感じがはっきりとします。人形使
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