上げ](「みづゑ」大正十四年六月)

   触覚の世界とその芸術

 なかなかむずかしい理論で、多少黒田重太郎君風の表題ではあるが、内容はすこぶる平易なものであるからさほど心配する必要はない。
 実は近頃私はちょっとした結膜炎をやって片目を四、五日間休ませていたのだが、目というものはやはり二つないと不便なもので唯一個の目玉では世界万物すべて平面に見えて決して浮き出さない。すなわち立体感がなくなるのだ。立体がわからないからしたがって距離がわからない、片目で絵を描いてみたがトワール迄の距離がはっきりしないので筆の先がトワールへ届き過ぎたり届かなかったりする、まことに頼りないものである。これで両眼から公休を要求でもされた日にはまったく心細いと思った。それで私は触覚のことを考えた。一体目のない動物は触覚だけで生きて行くものだが、人間も盲目になると触覚が異様に発達するものだそうだ。
 めくらに限らずめあきでも目を瞑ってみると、触覚の世界というものがかなりはっきり考えられるものだ。また触覚を味わったり楽しんだりする時には目は隠居をすることが多い。あるいはまた目で眺めて触覚を強める場合もある。電車の
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