そのつもりをして色の調子を計る必要がある、偶然の効果がまた面白い結果になるのである。
グワッシュの他には私はいつも例のガラス絵を試みるのであるが、これはガラスの透明から来る心地のよい感じが、例えば定食のあとのアイスクリーム位の価値を自分に与えるもので、一週間ばかりの油絵製作のあとにはちょっとこれをやってみたくなるものである。しかしながら毎日ガラス絵を連続して描くことはまた閉口だ、めしの代用を氷水でやっているようでこれはまたたまらない。
ガラス絵もやはり偶然の効果を利用することの多い仕事である。すなわちガラスの一方から描いて裏へ絵が現れるのであるから、そこに思いがけない味が出るのである、その味を味わうのがすなわち毎日の食事に飽きた場合の慰めだと考える。
要するに油絵というものは下地から仕上げにいたるまでああでもない、こうでもないと散々苦労を重ねて終点へまでこぎつけるので、楽しみよりもくるしみが多く、しかも力尽きて降参するという順序になりやすいものであるが、技法のうちに偶然を含む種類のものは、作者に賭博の楽しみを与えるもので失敗も多いが思いがけない儲けもあるものである。[#地から1字
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