みをなめることがしばしばである。
日本には昔から客をお茶屋へ招待するという風習がある。ことにある旦那達は絵描きを芸者とともに並べて遊んでみる風習もあるようだ。私達の如く油絵という殺風景な仕事をするものでさえも時には招かれることがある。
ところで酒でも飲めればまず旦那のお相手ともなり、芸者とともに暫時を稼ぐことも出来るわけかも知れないが、不幸にして僧帽弁に穴のあるものにとっては歓楽どころの騒ぎではないのだ。
左様に勤まり難いことが初めから判っているものならば、初めに謝絶すればよいのだが、何かその明るい世界には、何かまた変った幸福らしいものが落ちてでもいそうなさもしい心も出るので、ついうっかりと来てしまうことも多いのだ。
しかしながらまず初めのうちは芸者も、旦那も、Lも、Mも、Nも、OPQも、皆正気だから私の話は向こうへ通じるし、向こうの話も了解出来るのでまずこれなら何とか辛抱も出来るのかと思っていると、やがて、L、M、N、O、P、Q、旦那、芸者は勝手にアルコールの世界へ転居してしまうのだ。
すると正気の間は多少、商売上、丁寧であった芸者の言葉が妙に荒々しくなってくる。なんや、あんたな、鬱陶しい顔せんと、早ようガッとあけなはれという。旦那はんは、こらおやじなどいわれている。
何だかもう、これからさきは叱られに来ているような具合で、正気なるものは忍従か逃げ出すかより他に途はないことになってしまう。ところでここで逃げて帰っても、LMNOPQも、誰も知らない場合が多いのだ。また逃げ出してもいいという約束らしいものもあるようであるし、あるいは逃げ出さぬように警戒して終いまで忍従させようとする暴君もあるようだ。
ともかくもこんな時に往来へ逃げ出して、冷い空気を胸一杯吸うて自由な天地を仰いでみると、ほっとして心の底から幸福が湧き出して来る。私の心臓は安らかな行進曲を奏するのだ。結構な幸福はまったくどこに落ちているやら、さっぱりわからない。明るい世界に変なものがあって、暗い往来で幸福を拾ったわけだ。
そこで私は一人ぶらぶらと、自分の金で紅茶を一杯飲んで、有難い自由な空気を遠慮なく吸いながら帰るのだ。
ところでここで困ることには天狗につままれた如く、今見て来た変に浮き上がった明るい世界と自分が帰って行こうとする自分の世界とが、あまりに調子のとれないことであることだ。ここで折角吸うた冷い空気が心の底で煮えつまるのである。幸福と行進曲が煮えつまるのだ。
もし私の心臓に穴がなくて、酒がうんと飲めるものだったら、私はそんな時、無神経な旦那はんの頭と、LMNと芸者の頭を「ガン」となぐって帰るかも知れない。あるいはすこぶるよろしく調和して、旦那から一人の芸者を拝領に及んで舌を出しながら次の一間へと引き退がることとなるかも知れないと思う。どうも結局飲めない僧帽弁がいつも一番いらない苦労をするようである。
[#地から1字上げ](「不調和」昭和二年二月)
滞欧の思出
心からあなたを愛する
私は元来、しゃべる事が下手《へた》だ、おまけに大阪弁だから、先ず日本語としても殆《ほと》んどなっていないといっていい位いだ。西洋人でも随分|鮮《あざや》かな東京弁を使う人に時々出会う事があるが、全く私は恥かしい。それはもう、なんやこう、けったいな感じがしてどむならんとかいったら、これは正確な日本語を習った毛唐《けとう》には、全く見当がつかないだろう、日本人にも通じ難いかも知れない。
東京にいる間は、それでも多少は東京風にものをいっていたものだが、家へ帰ると大阪市全体、私の家族全体、友人全体が、なんやこう、けったいな言葉を使うものだから、私だけが、そうかね御苦労だったねなどいって見ても、全く、それこそ、なんやこうけったいな調子になって、少しも周囲と同化しないし、第一親しさが表わせない、私だけが何か新派の芝居でもしているように見えて可笑《おか》しくて堪《たま》らない、やはり私は、さよか、おおきにはばかりさんといってしまう。その方が不都合が起らないのだ。
その位い、私は大阪弁なのである。ところが単に親しさを表すだけの時にはいいが、何か演壇へ立つとか、あるいはラジオの放送であるとか、あるいは講演、婚礼や新年の挨拶《あいさつ》、火事見舞、仏事、などにはあまり進んで出られないのである。その上ちょっと気兼ねをすると直ちに言葉がのど[#「のど」に傍点]へつまってしまうくせ[#「くせ」に傍点]があって、あのう[#「あのう」に傍点]とそのう[#「そのう」に傍点]以外一句も出なくなるのである。私はさように大体、言葉には辟易《へきえき》しているのである。
ところで、私が、フランスへ行こうと考えた時、何よりも困った事は言葉の勉強であった。私は中学時代の英語
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